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令和5年11月法話「【親鸞聖人のご恩を偲んで】~無条件の救い~」

【親鸞聖人のご恩を偲んで】~無条件の救い~

 

大阪教区茅渟組正法寺     豊田悠

 

 

 秋の香りが漂う季節となりました。今年も報恩講シーズンがやって参りました。報恩講とは親鸞聖人のご恩に報いる法要です。今年は親鸞聖人が御誕生されてから850年という記念すべき年です。長き時を経て、そのご恩が私のもとに届いてくださっていることを思うと、あらためて感謝の気持ちが湧いてきます。いますべてのいのちのもとに届けられている阿弥陀さまのお心、このお心を生涯かけて大切に伝えてくださったのが親鸞聖人です。

 阿弥陀さまはすべてのいのちを救う仏さまです。親鸞聖人は阿弥陀さまを「どんないのちも条件をつけずに救ってくださっている仏さまなのだよ」とおっしゃられています。阿弥陀さまは「どんな時もまるごとあなたをうけとめているよ。どんな時もあなたを決して見捨てないから。どうか安心して私にその身をまかせてね」と南無阿弥陀仏のお念仏となられていつでも私達とご一緒してくださっています。私が僧侶にならせていただいた頃、よくこんなお話を聞きました。「阿弥陀さまが無条件の救いを私にご用意してくださったのは、この私が一つでも条件をつけると救われないいのちだからなのです。」この事が私にはよくわかりませんでした。しかし昨年、無条件の救いを知らせていただいた出来事がありました。

 昨年私は病気にかかり、少し大きな手術をしました。手術まで半年ほど投薬治療を行ったのですが、体に副作用が生じる可能性があるため、仕事はほぼ中止、プライベートの予定も無くなりました。これまで難なくできていた階段の上り下り、息が切れて時間がかかりました。突然襲ってくる体のほてり、こわくて分厚いハンカチを手放せなくなりました。「なんで私が病気にならなあかんの…」周りは「大丈夫。私の知り合いも同じ病気だけど元気になったから」と気づかってくれたのですが、その言葉が素直に聞けません。「それは自分が元気だからじゃないの?他人事だと思って!」と怒りで心がいっぱいになりました。怒りをつくり続けることはしんどいのです。でも自分ではどうしようも出来ませんでした。手術直前、ついに私は母に言い放ちました。「お母さん、私は一体どうなるの?やりたい事いっぱいあるのにまだ何もやれてない。お寺の事もできなくなるかもしれん。私何の役にも立てなくなる…。」すると母が、じっと私の顔を見て言いました。「大丈夫。お母さんも一緒やで。お母さんもあんたと一緒に頑張るから。あんたはあんた、とよだゆうや。それは何も変わらへん。だから心配せんでいいよ」役に立てないと嘆いた私に対して、母は「あんたはあんた」とそのままの私をうけとめてくれました。嬉しかったです。母の言葉は、かたくなだった私の心をほぐしてくれました。

 今生きているということは、当たり前じゃないのです。元気な時は、誰しもが「自分一人で何でも出来る」と思いがちです。しかし、病気になり身体が不自由になると、あらためていのちのありがたさを知ることになります。阿弥陀さまはたとえどんな私であっても「まるごとあなたをうけとめているよ」とそのままの私をうけとめてくださっている仏さまです。いつでも無条件に私を救ってくださっている仏さまです。それは私のいのちに価値をつけないということなのです。私は知らず知らずの内に、このいのちに価値を付けて生きていました。役に立ついのち、役に立たないいのち…そんないのちの分け方あるはずがありません。普段は自分の力で生きていると思っている私ですが、このいのちに危険が知らされて、あらためて無条件の救いの尊さを知らせていただきました。

 今後とも親鸞聖人にいただいた阿弥陀さまとのご恩を、ご一緒に紡がせていただけたらと思います。

 


豊田 悠

1986年3月30日生まれ。

大阪教区茅渟組正法寺 豊田悠

本願寺派布教使

お西さんを知ろう案内僧侶

現在伝道院指導員

 

 

 

 

 

 

 

 


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