この尾崎別院は、その昔(時代は不詳)善徳寺という草堂(小さな寺)でした。
ある時、一人の老父が来て、善徳寺で一夜を明かしますが、その時、背負ってきた笈(仏像・仏具・経巻等を入れて背負う道具)を残していき、その中には蓮如上人御染筆の六字の名号、善導大師釈文の一軸等があったといいます。
善徳寺はその後焼失してしまいますが、そういった経緯もあってか、慶長三年(一五九八年)、領主・桑山伊賀守が再建を計画し、浄土真宗に信仰の篤かった家臣・石田次郎左衛門に命じて、新たに十一間四面の堂宇を建立して、本願寺第十二代宗主准如上人に寄進し尾崎御坊となりました。
宗祖親鸞聖人御影(真向きの御影)
本願寺第十二代准如上人(尾崎別院開基)
元禄十三年(一七〇〇年)十一月晦日(三十日)、再び火災によって焼失してしまいます。
人々はもうどうにもならないと呆然自失としてしまいますが、その四年後の嵐の翌朝、尾崎の浜に巨木を積んだ大船が漂流しているのを発見し、村の人々は、この材木を天からの贈り物だと大いに喜んで再建の材と成すことを決め、宝水二年(一七〇五年)九月十八日に上棟式を行い、御坊再迎を成しおえました。
それからは誰言うとなく「不思議の御坊」と呼ばれるようになりました。
その後、本堂のいたみも激しくなり、平成五年には屋根や内陣等の大修復が行われ、再建当時の姿を取り戻し今に至ります。