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令和6年1月法話「おたんやの市止まり」

「おたんやの市止まり」

安芸教区佐伯東組光乘寺 中村啓誠

 

 新しい年を迎えました。本年も皆さまとご一緒に、阿弥陀さまのみ教えをお聴聞してまいりたいと思います。

 1月16日は、親鸞聖人のご祥月ご命日です。ご本山の本願寺では、9日から16日まで、「御正忌報恩講」(ごしょうきほうおんこう)という法要が営まれます。当・尾崎別院では、「お引上げ」として毎年11月26日~28日まで「報恩講法要」をおつとめし、ご祥月ご命日である1月16日にも、聖人のご遺徳を偲ぶ法要をおつとめしています。

 私が住んでいる広島県呉市にはかつて、「おたんやの市止(いちど)まり」という、面白い風習がありました。「おたんや」とは、「大逮夜」(おおたいや)がなまった言葉。ご命日の前日のことですが、御正忌報恩講じたいをそう呼ぶ地域もあります。呉市あたりの漁師さんは、御正忌の期間中、漁に出るのを慎んで、お精進をなさいました。その結果、お魚が入ってこないので市場が休みになったことを、「市止まり」と言ったのです。

 仏教の基本は、「殺さない・盗まない・みだらなことをしない・嘘をつかない・お酒を飲まない」などの「戒」(かい。人々を悪から離れさせるために仏さまが定めてくださった、いましめ)をまもること。けれども、「このいましめを守れなければ、仏教徒ではないぞ」と言われたら、仏教は、ほんの一握りの立派な人にしか歩めない、狭い道になってしまいますよね。「仏さまのお心が、そんなに狭いはずがない!」というのが、親鸞聖人の思いでした。〈誰一人、見捨てたくない〉〈戒を守って生きることの出来ないあなたをこそ、放っておけない〉という、阿弥陀さまの底なしのお慈悲の心が、「ただ、あなたを救う」という無条件の救いを告げる名のりの声=なもあみだぶつのお念仏となってくださったんだ ──そのことを明らかにしてくださったのが、聖人でした。

 わたしたちは、生きてゆくために、どうしても他のいのちを奪わなければならないのですね。皆さん、ネズミを殺したことは? 「無い!」とおっしゃる方でも、日々、何らかの「お薬」は服用しているでしょう? 〈わたしたちが健康のためにお薬を飲んでいることは、ネズミのいのちを奪っていることだよ〉とある先生から教わりました。なぜ? どんな薬の開発にも、たくさんのマウスが実験台として用いられるからです。これからは、お薬を飲む前にひとこと、謝った方がいいかもしれませんね、「ネズミさん、ごめんなさい。わたしが生きていくために、あなたのいのちをください」と。

 お魚のいのちを奪うことを日々のなりわいとする漁師さんたち。「不殺生戒」を守れないので、かつては仏教の救いからもれていましたが、親鸞聖人のおかげで、誰一人もらさず救うお念仏のみ教えに出遇えたのです。「わしらも、仏の子じゃ!」漁師さんたちはきっと、嬉しかったでしょうね。そうして、(ここからが凄いことだと思うのですが)その感謝の気持ちを聖人に捧げるため、漁師さんたちは、なんと「お精進」(期間限定ではあるが、不殺生戒をまもること)を始めたのでした。「無条件の救い」に出遇えたからこそ、欲望のおもむくままに生き始めるのではなく、反対に、「なるべく、仏さまを悲しませないように」と、自らの行いを慎む人に、育てられていったのですね。

 きっとこの尾崎の地でも、〈聖人のおかげで、仏の子としての尊い人生を恵まれた!〉と慶ばれた人々が、たくさんおられたのではないでしょうか? そんな人々の熱い思いにささえられて、今日まで大切に守られてきたのが、聖人のご命日の法要なのです。

 


中村啓誠

1969年8月24日生。
安芸教区佐伯東組光乘寺衆徒。
本願寺派布教使。
布教研究専従職員を経て、現在布教使課程専任講師。
広島県呉市在住。

 


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