お知らせ

令和6年10月法話「ありがとう」

今年度は12回のシリーズで、「生活の中の仏教用語」をテーマに、みなさんとご一緒に、阿弥陀さまという仏さまのお心を味わってまいりたいと思います。

 

「ありがとう」

 

大阪教区島中南組専称寺 野田 茜

 

皆さんの一番好きな言葉は何でしょうか?

ある調査会社が「好きな言葉」に関するアンケートを行った結果、1位に選ばれたのは「ありがとう」でした。

「ありがとう」という言葉は、多くの人が大切にしている言葉ですね。「ありがとう」と感謝を伝えられた方はもちろん、「ありがとう」と言った方も心が温かくなります。

この「ありがとう」という言葉の由来は、「有り難し(ありがたし)」という仏教の言葉から生まれたとされています。

お釈迦さまの説かれた『法句経』には次のような一節があります。

 

人の生(しょう)を受(う)くるは難(かた)く やがて死すべきものの

今生命(いのち)あるは 有り難し

 

「有り難し」とは「有ることが難しい」と書き、その意味は「滅多にない」、「珍しい」ということです。

お釈迦さまが、人間に生まれ、仏さまの教えに出遇うことのありがたさを教えてくださったお話があります。

ある日、お釈迦さまがお弟子のアナンとガンジス河のほとりを歩いておられた時のことです。

お釈迦さまは足を止めてアナンに「足もとの砂をすくってごらん」とおっしゃいます。アナンは言われるままに手の平で砂をすくい上げます。するとお釈迦さまはおしゃいます。

「アナンよ、大地の砂の数と手の平の砂の数と、いったいどちらが多いだろうか?」

アナンは答えます。

「それは申し上げるまでもなく、大地の砂の数の方が多ございます。」

お釈迦さまは続けておっしゃいます。

「では、今度は手の平の砂を爪の上にのるだけ乗せてごらん。」

アナンは言われるままに砂を爪の上にのせます。お釈迦さまは尋ねられます。

「アナンよ、手の平の砂と爪の上の砂では、どちらが多いだろうか?」

アナンは答えます。

「比べ物にならないほど、手の平の砂の方が多ございます。」

するとお釈迦さまはおっしゃいます。

「そうなんだよ。この世に命をいただいて生まれてくる者は大地の砂の数ほどあるけれど、人として生まれることは非常に難しく、手の平にのる砂の数ほどしかないんだよ。しかも、その中で仏さまの教えに遇うことはもっと難しいことで、爪の上にのる砂の数ほどしかないんだよ」

私たちが今、人間として生まれ、仏さまの教えを聞くことができるのは、大変稀有なありがたいことなのですね。

ではなぜ、私たちは今、お釈迦さまの説かれた阿弥陀さまの教えに出遇うことができたのでしょうか。それは、どなたかが私に阿弥陀さまの教えに出遇ってほしいと願ってくださったおかげです。例えば、お父さんやお母さん、おじいちゃんやおばあちゃんかもしれません。もっとその先をたずねていくと、親鸞聖人であり、さらにその先をたずねると、お釈迦さまが私に阿弥陀さまの教えに出遇ってほしいと願ってくださったからです。そしてその大元は、阿弥陀さまが願ってくださったからです。阿弥陀さまがこの私に「どうかみ教えに出遇ってほしい」と願い、はたらき続けてくださったからこそ、私たちはこの度、阿弥陀さまの教えにお出遇いすることができました。

阿弥陀さまの教えに出遇わせていただいた私たちは、この人生が終わると、仏さまにならせていただきます。

生まれ難い人間に生まれ、遇いがたい仏さまの教えに出遇わせていただけたことを喜ばせていただきましょう。

 

 


野田茜

1980年10月4日生

大阪教区島中南組専称寺副住職・坊守

本願寺派布教使

布教研究専従職員

中央仏教学院講師

 

 


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