お知らせ
旦 那
安芸教区佐伯東組光乘寺 中村啓誠
「昔のサンタは、今のダンナ」。クリスマス、宝石の画像とともにインスタグラムに投稿されたある女性のコメントです。お連れ合いさんからのプレゼントなのでしょう。子どもの頃は「サンタさん」がプレゼントをくれた。今は素敵な「ダンナさん」がプレゼントをくれる……おのろけですが、幸せなご夫婦ですね。
「旦那」(だんな。「檀那」とも書きます)とはもともと、サンスクリット語「ダーナ」(dāna)に漢字をあてたもので、「布施」(ふせ。ほどこすこと。むさぼりの心を離れるための修行)を意味する仏教用語なのです。お寺に財を施してくださる家を「檀家」と呼ぶのも、気前よくお金を使う商家のあるじを「旦那さん」と呼ぶのも、これにもとづいています。
もっとも、妻でなく夫を「ダンナ」と呼ぶことが多いのは、〈女性は男性に扶養される存在だ〉という、男性優位の価値観の名残り。仏教徒にはふさわしくない考え方ですね。これからは性別や年齢に関係なく、その時々に〈気前よく施してくれる人〉を「ダンナ」と呼んでみませんか? 仕事で疲れているお父さんに、幼い娘さんが「パパ大好き」と笑顔のプレゼント!(これを「和顔施」=わげんせ=と言います。お金がなくてもできる施しの一つ)
このときは娘さんの方が「ダンナさん」(施し手)です。
インターネットに紹介されていたお話。
4歳の女の子、ゆきちゃん。幼稚園の行事の参加記念品として、箱に入ったクレヨンのセットをもらってきました。ところが、こともあろうにその日の夕方、クレヨンを全部、
真っ二つに折ってしまったのです。お母さんは激怒。
「せっかく頂いたものを、どうして粗末にするの! お母さん、もう知らない!」
怒られて、ゆきちゃんも大泣き。帰ってきたお父さんが
「ゆきちゃん、なんであんなことしたの?」と聞いてみたら、
「だって まいちゃん(妹。2歳)と (ヒック)
クレヨン半分こするって (ヒック)
約束したんだもん (ヒック)」
お父さんとお母さん、思わずゆきちゃんを抱きしめました。翌日お母さんは、どこからか持ってきたプラスチックの容器に、半分に折られたクレヨンをきちんと全色分おさめて、 妹のまいちゃんにあげました、というお話。
ひとり分のクレヨンは半分になったけど、この家族の幸せはきっと、二倍になったと思うのです。幸せって、独り占めすると減る一方。でも不思議なことに、気前よく人と分かち合うと、かえって幸せは大きくなります。なぜならいのちは一つにつながっているから。
「ダーナ」=布施とは、いのちのつながりを思い出すために、むさぼるのではなく「与える生き方」、独り占めするのではなく「分かち合う生き方」を学ぶ営みです。
……もっとも、〈見返りを求めず、ただ与え続ける生き方〉が出来るのは、いのちのつながりを完全に見ることのできる智慧の眼を開かれた、仏さまだけ。だから究極の「ダンナさん」(施し手)とは、仏さまのことなのですね。
浄土真宗で大切にする阿弥陀さまという仏さまは、奪い合い傷つけ合っているわたしたちを悲しまれ、こんな風に誓われました。「心の貧しさゆえ苦しんでいる者たちのために、わたしは大施主(だいせしゅ。大いなる施し手)となろう!」(※註) 阿弥陀さまが、
ご自身の徳のすべてを込め、仏に成るためのタネとしてわたしたちに「施して」くださってあるのが、南無阿弥陀仏と称える、お念仏です。阿弥陀さまこそ、わたしたちの人生に最高の恵みを与えてくださる、「ダンナさん」でした。
昔はサンタさんがクリスマスにプレゼントをくれました。今のわたしには阿弥陀さまが、最高の宝物をプレゼントしてくださっています。素敵なダンナさんに出遇えたわたしは、幸せ者です。
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※註=
『仏説無量寿経』上・重誓偈
我於無量劫 不為大施主 普済諸貧苦 誓不成正覚
(われ無量劫において、大施主となりて、
あまねくもろもろの貧苦を済はずは、誓ひて正覚を成らじ。)
中村啓誠
1969年8月24日生。
安芸教区佐伯東組光乘寺衆徒。
本願寺派布教使。
布教研究専従職員を経て、現在布教使課程専任講師。
広島県呉市在住。