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往 生
兵庫教区神戸東組源光寺 源 裕樹
関西でおなじみの漫才師大木こだま・ひびきさんの代名詞である「往生しまっせぇ~」というフレーズをご存知でしょうか。これは「その場に止まったり、途中で行き詰まってしまい身動きが取れないどうしよもない状態」から困難であることを意味します。年末年始などに、寒波による大雪で車が「立ち往生[1]」すると同じ意味です。また平均寿命より長く生き亡くなられた方に対し「大往生」と言ったりしますね。この場合の往生は死ぬことを意味します。しかし本来の「往生」の意味は、行き詰まり困難になることでもなければ、死ぬことでもありません。では仏教でいう「往生」はどのような意味でしょうか。
「往」とは往復はがきと言うように、目的地に向かい往くこと、「生」とは生まれること。つまり阿弥陀さまのお浄土に往き生まれることを意味します。しかしこれは現代人にはなかなか受け入れることは出来ませんね。「人間死んだらおしまいだ」と言うのがそれでしょう。これには二つ理由があります。「一つは、『命終えるのは何回も経験できません。最初であり最後だ』としか思えないからです。二つ目は、人生を上手く渡っていくために、学生時代や社会人で身につける知恵や知識が命終える時には全くと言っていいほど役に立たないからです」。死を前にするとノーベル賞を受賞するような賢いお方も、身体の強いオリンピック選手も、権力や財力を持つ国王であろうともわれわれと全く一緒で、わたしの理解を超えていくことなのです。ですので、死んだらしまいという人も、確信があるというより、恐らく考えてもよく分からないから「たぶん死んだらしまいなんだろうな」なのでしょう。しかしわれわれの先輩方はそうではなく、生まれる世界がありますよという思いをある言葉に残しでくださったのだとわたしは思います。
お通夜や葬儀の際に喪主さんがご挨拶なさいます。その時によく「この度は亡き父のためにお集まりいただきありがとうございます。生前は父が大変お世話になりました。」という挨拶をされます。これは、この度亡くなったお父さまが生まれてから命を終わるまで、つまり生きている間お世話になったけれども、本人は棺の中でお礼を申せないので、近しい方である喪主が代わってお礼をのべます。この「生前」とい言葉は不思議ではないでしょうか。生きている間にお世話になったのであれば、命終わる前ですので「死前(死ぬ前)」や「亡前(亡くなる前)」という言葉を使ってもよかったはずです。しかしわれわれの先輩方は、「生前(生まれる前)」という言葉を使い残してくださいました。ここには、「ただ死んでおしまいの命ではなく、必ず生まれる世界があるのだよ」という思いの中で使い続けてくださったのではないでしょうか。
親鸞さまはお弟子に宛てたお手紙の中で、同じ阿弥陀さまの教えを聞かせていただいた者はただ死んで終わりのむなしい命ではなく、おさとりの世界であるお浄土に生まれ仏に成らさせていただくんだよ。それは尊いことであり、先立った大切な方々とまた会える世界なんだよ、とおよろこびの中で示してくださいました[2]。人生は右に転ぶか左に転ぶかは分かりません。もっと言うならばどのような最期を迎えるかも選べません。阿弥陀さまはそのようなわたしに、あなたがどのような命になろうともただ死んでおしまいの真っ暗なむなしい命ではなく、光あふれるお浄土に生まれさせ、おさとりの仏にわたし阿弥陀がするから、どうかその話を聞いてくれないか。そして安心してわたし阿弥陀にまかせてくれないか。南無阿弥陀仏を申してくれないかとはたらき、いつもご一緒くださる仏さまです。往き先(行き先)が決まり安心をいただいているからこそ、この人生力強く歩めるのではないでしょうか。
本来、死んだらしまいとしか思えないわたしに生まれるべき場所があるのだよと仰ってくださる阿弥陀さまや親鸞さまのお話をお寺で聞いてみませんか。
[1] 立ち往生の語源は、衣川の合戦において武蔵坊弁慶が主君である源義経を守るために全身に矢を受け、立ったまま命終えた故事に由来しています。そこから進むことも退くこともできず、見動きが取れなくなることになりました。
[2]・『親鸞聖人御消息』第2通 (『註釈版聖典 第2版p738』)「またひらつかの入道殿の御往生のこときき候ふこそ、かへすがへす申すにかぎりなくおぼえ候へ。めでたさ申しつくすべくも候はず。(平塚の入道殿が往生なさったこともこともお聞きしましてが、何とも言葉に表しようのない思いです。その尊さは、言葉でいい尽くすことができません。)」
・『親鸞聖人御消息』第26通(『註釈版聖典 第2版p785』)「この身は、いまは、としきはまりて候へば、さだめてさきだちて往生し候はんずれば、浄土にてかならずかならずまちまゐらせ候ふべし。(わたしは今はすっかり年老いてしまい、きっとあなたより先に往生するでしょうから、浄土で必ずあなたをお待ちしております。)」現代訳は本願寺出版社発行『浄土真宗聖典 親鸞聖人御消息(現代語版)』からの引用です。
源 裕樹
兵庫教区神戸東組源光寺衆徒
1980年5月30日生
本願寺派布教使
特別法務員
元布教研究専従職員