お知らせ
今年度は12回のシリーズで、「生活の中の仏教用語」をテーマに、みなさんとご一緒に、阿弥陀さまという仏さまのお心を味わってまいりたいと思います。
「アバター」
大阪教区榎並組信徳寺 小西善憲
近年インターネットやゲームなどの仮想空間において自らの分身となるようなキャラクターを使ってコミュニケーションをしていくことがあります。中には実生活より本音でやり取りできるので、そちらを人間関係のメインに置くような方もいるようです。その自らの分身となるものを「アバター」と言います。これは古いインドのことばであるサンスクリット語で「アヴァターラ(神仏の化身)」から用いられるようになったそうです。仮想空間における「アバター」を現実世界の化身として分身化するわけですが、そこには自らの願いに応じたすがたでもって分身化するようなところがあります。「こうありたい」というような思いを仮想空間の中だけでも具現化していくわけです。しかしわたしたち浄土真宗においてこの化身ということを伺いますと、仏さまがわたしたちに応じてさまざまなおすがたをとってくださるというのです。
親鸞聖人がお示しくださった正信偈の一節に「遊煩悩林現神通 入生死薗示応化(煩悩の林に遊んで神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといへり)」というものがあります。この意味は「阿弥陀さまのおはたらきによって、いのち終えたあとお浄土に生まれ、仏さまとなられた方々は、迷える人びとを救うために、煩悩の世界(わたしたちがいるこの世界)に還ってきて、不思議な力を現し、相手に応じてさまざまなすがたをとり、思いのままに人びとを救う身となるのです」となります。このことをわたしは、こんな風に味わっています。大切な方がいのち終えてゆかれたとき、ともすればそのお別れの喪失感にむなしさや無意味さを覚えてしまうわたしたちがいます。そこへ阿弥陀さまという仏さまは、「あなたをわが浄土に生まれさせ、仏にするぞ」と誓ってくださいました。先だってゆかれた方は、仏さまとなっておられます。しかもそれは、お浄土でじっとしているのではなく、「化身」というかたちで、迷えるわたしたちに応じてさまざまなおすがたを示し、浄土へと、南無阿弥陀仏へと、わたしたちを今ここで導いてくださっているということだったのです。
先日YouTubeで何気なく動画を見ていましたら、おすすめの動画に昭和期にご活躍されました山本仏骨という先生の法話があり拝見いたしました。一つ一つ丁寧に南無阿弥陀仏とは何かということをありがたく聞かせていただいたのですが、ふと記憶から蘇ったことがありました。それはわたしが小さい時に我が孫のごとく可愛がってくださった御門徒のおばあちゃんのことです。もう30年ほど前にご往生されましたそのおばあちゃんは、例えばわたしが小僧の手習いよろしく父の隣でお参りに出た時は、案の定正座で足が痺れて立てなくなるのですが、少しでも楽になるようにと足の指を揉んでくださいました。またお寺の都合でわたしの面倒を見れない時はいつも遊び相手をしてくださいました。その時間にいつも当時5歳のわたしに山本仏骨というありがたい先生がいるから話を聞いてと毎回カセットテープに録音したご法話を聞かせてくださるのです。そのお名前のインパクトで録音を聞いた記憶はあるのですが、内容は全然覚えていません。聞いても聞き流しているような状態でありました。
そこで先日拝見した動画に「子や孫に伝えてよ。南無阿弥陀仏の意味は、安心しなさい、いつでも、どこでも、見ているよ、まもっているよだから、これだけでも伝えてよ」とありました。もしかするとおばあちゃんはこのことを5歳のわたしに聞かせたかったのかと思いました。わたしたちが大切にしている南無阿弥陀仏ということを5歳のわたしに聞かせ、これからの人生さまざまなことがあるけれど、どうぞ「安心しなさい、いつでも、どこでも、見ているよ、まもっているよ」という阿弥陀さまの願いの中に生きぬいておくれと伝えたかったのだろうと今45歳のわたしがYouTubeの動画に味わうことでした。この動画におばあちゃんのおすがたを感じ、わたしへの導きとして受け止めることでした。これはわたしの味わいなので事実がそうだという話ではありませんが、このような形でさまざまなところに私たちを導いてくださるおすがたを感じていくことができるのではないでしょうか。
阿弥陀如来は如来になるにあたり48の願を建てられ、その第22願に還相回向の願をお建てになられました。この願いは浄土に生まれ仏となったものはこの世界に還り、他の衆生を教化して導いていくという還相すなわち還来穢国の相状をあらわしたものです。その導いてくださるおはたらきの中に、先だってゆかれた方々のおすがたを伺うことができます。わたしたちは大切な人とお別れをする中にあって、ともすればその別れに無意味さや虚しさを覚えていくようなところがありますが、浄土へと南無阿弥陀仏へと導いてくださるさまざまなお手回しに先だってゆかれた方々のおすがたを伺うと、今ここにご一緒と味わうことができます。迷いの中にあるわたしを今ここに導いてくださっていると阿弥陀さまの願いに知らされる中に味わえるのです。うれしく思います。そのようなことを「アバター」ということばから伺うことでした。
小西善憲
1980年2月29日生。
大阪教区榎並組信徳寺住職。
本願寺派布教使。
特別法務員。
本願寺得度習礼・教師教修所期間中指導員、布教研究専従職員を経て、現在中央仏教学院講師。
