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令和7年6月法話 「重誓名声聞十方ーじゅうせいみょうしょうもんじっぽうー」

「重誓名声聞十方」

                                                                                                                       兵庫教区 神戸中組 徳本寺   津 守 秀 憲

 

 阿弥陀さまは法蔵と名乗る菩薩であった時、生きとし生けるものを救い取るにはどうすればよいだろうか、と考えられます。そして人間が思い量ることが出来ないほどの長い時間をかけて熟慮し、思案して四十八の願いを建てられます。
法蔵菩薩は四十八の願いを述べられた後、重ねて三種の誓いを立てられます。一つ目は仏のさとりを必ず開くこと。二つ目は全てのものを救いとる。三つ目は「全ての世界に至り届く仏となろう」と誓われた。と『仏説無量寿経』に説かれます。
一見するとこの三種の誓いは、前二つで私たちの救いは完成されているように見えます。しかし法蔵菩薩は三つ目に「あらゆる所に至り届き、救える仏となろう」と救いの手立てまでお誓いくださったのです。親鸞聖人は、これを「正信偈」に「重誓声声聞十方」と示されています。

 誓いの通りに仕上がってくださった阿弥陀さまは私たち一人一人の命の上に至り届いてくださっています。それが「南無阿弥陀仏」のお念仏です。「あなたと共にいるよ。一人じゃないぞ。」とご一緒くださる阿弥陀さま。そのような仏さまを喜ばれたおばあちゃんのお話を聞かせていただいたことがありました。
住職さんが月命日のお参りにそのおばあちゃんのお宅に伺います。ご一緒にお経をお勤めし、最後に「南無阿弥陀仏」と称えながらお仏壇に向かって合掌、礼拝をします。その時、住職さんはあることを思い出しました。「今度のお寺の法要の案内をしておかないといけないな。世間話が始まってしまうと案内を忘れて帰ってしまいそうだ。むこうより早く話を切り出さねば…」
そう思った住職さん、下げていた頭を普段より少し早めに上げておばあちゃんの方に向き直ります。自分と同じように手を合わせ合掌、礼拝をしてくれているだろうと思っていたのですが少し様子が違うのです。

 おばあちゃんは左手にお念珠をかけ合掌の姿勢を取り、右手は耳に添えながら「南無阿弥陀仏」と申されていたといいます。「おばあちゃん、変わったやり方ですね。それなんですか?」思わず尋ねてみますと、「あら、住職さん。恥ずかしいところ見られたわね。あなた、若いから知らないだろうけど、俳優の鶴田浩二さんって知ってる?あの人、歌手もやっていたけど耳が悪かったらしくて歌を歌うときは右手でマイクを持って左手は耳に添えていたのよ。それでリズムや音程を取っていたそうよ。私もね、最近耳が聞こえにくくなってきた。だから鶴田浩二さんのマネをして『南無阿弥陀仏』と称えながらここに阿弥陀さまがご一緒してくださっているなと口に称え、耳に聞きながら喜ばせてもらっているのよ」と答えられたそうです。

 このおばあちゃん、一人暮らしであっても決して孤独ではなかったでしょう。生活の中に工夫を重ね、ご一緒くださる阿弥陀さまを喜んでおられました。

 阿弥陀さまは悲しい時、辛い時、どんな私であっても見捨てることなくご一緒くださります。私の人生の上において、生涯語りかけてくださる仏さまの声が尊く、有難く、我が身の上に響いてくるのです。

 どうぞ皆様も一緒にお念仏称えてみませんか?わたしたちはいつも阿弥陀さまが「独りじゃないぞ、ここにいるぞ」とご一緒してくださるところに生きています。


津守秀憲
1985年6月28日生
神戸中組徳本寺住職
本願寺派布教使
布教使課程指導員を経て本願寺布教専従職員在職中
本願寺派輔教


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