お知らせ

令和7年10月法話「不断煩悩得涅槃-ふだんぼんのうとくねはん-」

不断煩悩得涅槃

 

兵庫教区神戸中組徳本寺 津守秀憲

 

 

 先月はお釈迦さまがこの世にお出ましくださったのは阿弥陀さまのご本願を説かんがためであった。というお話でありました。今回の阿弥陀さまの「そのまま救う」というご本願を信じることによって得るご利益を示したものです。

 

 阿弥陀さまのお救いを聞き受けていくその時に、「不断煩悩得涅槃」、煩悩をもったこの身のままでお浄土に往生して、仏にしていただくご利益を得るというのです。

 

 通常、仏教というのは地獄行きの原因となる煩悩をなくしていき、悟りに近づいていくものだと考えます。

 

 しかしながら親鸞聖人は「この身が持つ煩悩というのは命終わっていくその時まで止まることも、消えることも、絶えることもありません」とおっしゃられます。地獄行きのタネである煩悩を障りとせず、「お浄土に参らせ仏とする」とお救いくださるのが阿弥陀さまです。阿弥陀さまに出会って煩悩がなくなるわけではありません。しかし、阿弥陀さまの救いの中で私の煩悩がもう地獄へ行く恐怖とはならない、という安心が恵まれるのではないでしょうか。

 

 当時2歳の息子を公園に連れて行きました。初めて見たジャングルジムに興味を持った息子は登ることなく興味深そうにペタペタと触って遊んでいました。

 

 すると5歳ぐらいの見知らぬ女の子が息子にお手本を見せようとしてくれたのでしょう。すぐ隣で自慢げにジャングルジムを登り始めます。大人の目線ほどの高さまで登ったくらいです。急に「高くて怖い」と泣き出してしまいました。普段見慣れない目線の高さ景色に怖くなり、大地に足がついていないことにビックリしたのかもしれません。高くて怖いなら降りればいいのですが、その場所から女の子は一歩も動けないようになってしまいました。

 

 近くのベンチからその様子を見ていたお母さんが慌てて女の子のところまで行き、そのまま抱き上げたのです。すると安心したのでしょう。女の子はすぐ泣き止み、その身体を母親にそのまま預けています。

 

 しかし、女の子の置かれている状況というのは先ほどのジャングルジムから何も変わっておりません。目線の高さはジャングルジムに登った時の高さのまま。足元にいたっては抱っこされているので地面には着いていません。けれどもお母さんに抱っこをされた時、泣いている私をそのまま受け止める大きな力に抱かれたとき、たとえ状況は変わっていないにしてもこの女の子には大きな安心に包まれているのでしょう。地面に足がつくよりも大きな安心がそこにあるのです。

 

 阿弥陀さまに出会ったら私の煩悩はなくなり、悩みがなくなるかというとそんなことはありません。相変わらずそのままです。けれどもその私を全てご存知の上で「煩悩を消し去ってこい、悩みを乗り越えよ」とはおっしゃられません。「そんなあなだからこそ」と私を抱きとってくださる阿弥陀さま。煩悩を抱えながら仏さまとなる人生を阿弥陀さまと歩む。それが浄土真宗のご利益です。


津守秀憲
1985年6月28日生
神戸中組徳本寺住職
本願寺派布教使
布教使課程指導員を経て本願寺布教専従職員在職中
本願寺派輔教


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