お知らせ
令和7年12月法話 「即横超截五悪趣─そくおうちょうぜつごあくしゅ─」
即横超截五悪趣─そくおうちょうぜつごあくしゅ─
安芸教区佐伯東組光乘寺 中村啓誠
お正信偈のこの言葉は、阿弥陀さまの救いを頂いた人が、今は迷いの世界にありながら、いのち終えた後、再び迷いの世界に生まれることがなくなることをあらわしています。
「南無阿弥陀仏」は、阿弥陀さまの喚び声。「あなたを再び迷いの世界に生まれさせることは決してしない。必ずわが浄土に生まれさせ、仏にしてみせる」。この声にはからいなくしたがっている姿が浄土真宗の信心ですから、信心を獲たらただちに(「即」)必ず仏になる身に定まります。地獄・餓鬼・畜生・人・天という五つの迷いの世界(「五悪趣」)に生まれるタネ(=わたし自身の煩悩のはたらき)は、そのとき阿弥陀さまによってスパッと裁(た)ち切られてしまうのです(「截」)。「横」とは、自力で一歩ずつさとりをめざす通常の仏道の道理(それを「竪」と言います)とは異なり、〈阿弥陀さまの力=他力によってさとりを開かせていただく教え〉という意味。「超」は、〈遠回りをせず一足飛びに〉ということ。阿弥陀さまからしたら、そんな速(すみや)かな救い方でなければ間に合わないほど、わたしたちのいのちの病=煩悩は根深く、一刻の猶予もない危険な状況だ、ということです。そこで「南無阿弥陀仏」の名号は、迷いのきずなを一刀両断にする「利剣」(りけん。よく切れる刀)に喩えられたりします。〈わたしのいのちの病の根を、速かに裁ち切ってくださる、たのもしいお医者さま〉。そんな阿弥陀さまの救いの特徴を、親鸞聖人は「即ち横に五悪趣を超截す」と表現されました。
上皇陛下の冠動脈バイパス手術を執刀したことで有名な、心臓外科医の天野篤先生。かかりつけの医療機関で、成功率が低いため手術を断られた患者さんが、先生の評判を聞いて遠方から訪ねてきます。「私が『神の手』を持っているわけではありませんが、私の行う手術にはいろいろな『工夫』があるので、頼って来られるのでしょう」。その『工夫』の一つが、「超低体温循環停止」という方法。大動脈にできた瘤(こぶ)が胸骨に接しているケースでは、胸を切開した瞬間に瘤が破裂し、大出血を起こしてしまいます。そこで患者さんの体温を15~20℃くらいまで下げ、人工心肺装置による血液の循環を一時的に停止した状態で手術を施すのです。これだと、どこにメスを入れても出血しないので安全に処置できますが、血液の循環を止める時間が長いと今度は他の臓器に悪影響が出るため、この方法の許容時間はわずか20分ほど。その時間内に処置を終わらせ、人工心肺装置に戻して血液の循環を再開させる正確な技術とスピードは、先生の、心臓外科医としての長年にわたる経験と研鑽の賜物。背景には、医師になることを勧めてくれた父親を、ご自身が関わった手術の後、亡くしてしまうという「後悔」もありました。
救急の患者さんがいつ運ばれて来ても対応できるよう、先生は断酒しておられるのだそうです。「私を求める患者さんを待つのではなく、私から出かけて行ってでも救いたいのです。それが、天職である心臓外科医としての今の思いです」(天野篤氏「天職」プレジデント社より)。
「南無阿弥陀仏」は「利剣」。まるで〈患者を治すことだけを考えている、外科医のメス〉のようだなと、先生の姿からわたしは教えられました。根深い煩悩のため、自らを迷いの世界につなぎとめて苦しんでいるわたしたち。他のあらゆる仏さまから見放され、一刻の猶予もない危険ないのちを救うため、阿弥陀さまは速かに煩悩のきずなを裁ち切ってくださいます。
わたしたちはまだ迷いの世界の住人ですが、この世界で、たのもしいお医者さまのような阿弥陀さまに出遇いました。だからこのたびの人生が、「迷いおさめ」なのです。
中村啓誠
1969年8月24日生。
安芸教区佐伯東組光乘寺衆徒。
本願寺派布教使。
布教研究専従職員を経て、現在布教使課程専任講師。
広島県呉市在住。
