お知らせ
令和8年5月法話「顕示難行陸路苦 信楽易行水道楽」
「顕示難行陸路苦 信楽易行水道楽」
大阪教区大鳥南組順教寺 佐竹大智
今月は正信偈の『顕示難行陸路苦 信楽易行水道楽』というお言葉を味わっていきたいと思います。このお言葉は、私たちにお念仏の教えをお伝えくださった七人の高僧の一人目、龍樹菩薩のお徳を讃えられたものです。
さて、上記のお言葉を、正信偈の意訳である『しんじんのうた』には、『陸地(くがぢ)のあゆみ難(かた)けれど船路(ふなじ)の旅の易きかな』と示されています。
龍樹菩薩の教えの一つに「難易二道(なんいにどう)」があります。お悟りという目的地へ向かうには難しい道と易しい道の二つがあるということです。
つまり目的地へ向かうには、自分で歩いていく陸路の道と、乗り物(ここでは船)に乗っていく道と二つあるというのです。近所を散歩するくらいならいいのですが、例えば青森県の北の端から鹿児島県の南の端まで歩いていかなければならないとなった場合、多くの方が「とてもじゃないけど無理だ」と仰るでしょう。一方、何か乗り物に乗れば、歩くより早く、もし歩けなくても目的地に至ることができます。
仏さまになる道も同じで、能力の優れた人だけが歩める難しい道(難行)とそうではない人でも実践できる易しい道(易行)があります。難行の方を陸路を歩くことに譬え、易行の方を乗り物に乗ることで譬え、自分の力では仏さまになることの出来ない私たちに易しい道を勧めてくださっているのが上記のお言葉です。
易行とは、「あなたを救える仏となったよ。どうか私に任せてくれよ。私の名を称えてくれよ」という阿弥陀さまの願いを聞き、阿弥陀さまの仰せのままにお念仏することです。
もう15年ほど前になります。当時私は北海道の札幌に住んでいました。自転車に乗ることが趣味だったので、夏のある日、祖母の暮らす旭川まで自転車で一度だけ行ったことがあります。距離はズバリ138キロ。体力には少々自信があったので朝7時半に出発し旭川へ向けてペダルを漕ぎ出しました。
好天にも恵まれ、ときおり涼しい風が頬をかすめる中でのサイクリングはとても気持ちいいものでした。お腹が空いたので道の駅により昼食をいただき、エネルギーを補給。また漕ぎ出します。通る道はほとんどが緑の多い場所だったので、雄大な自然を眺めて、清々しい気持ちにもなりました。
が、そんな爽やかな気持ちも70キロを過ぎたあたりから消えていきます。何時間もペダルを漕いでいたので、足が段々痛んできたのです。特にアキレス腱とふくらはぎは時間が経つにつれてジンジンと痛みを増し、自転車の旅の後半は痛みとの戦いになりました。さっきまでの気持ちよさはどこへやら、頭の中には「痛い。しんどい」という言葉のみ。
小まめに休憩をとり、必死にペダルを漕いでいると、出発から8時間半かけてやっと旭川の街が見えてきました。ようやく祖母の家へ到着し自転車から降りると、アキレス腱とふくらはぎの痛みが凄まじくとても歩けたものではありませんでした。
それから3日後に母が車で迎えに来てくれたので、今度は旭川から札幌まで車で帰ることになりました。乗ってしばらくすると、車の規則的な揺れのせいかいつの間にか眠っていました。
「着いたよ」という母の声で目を覚ますと、目の前には我が家が!
行く時はあんなにしんどい思いをして時間もかかったのに、帰りは眠っていたせいもありアッという間でした。
今思うと、車の揺れだけではなく「母が運転する車に乗って、間違いなく自宅まで行く」という安心があったから気持ちがゆるみウトウトと眠ってしまったのでしょう。
この体験は私に難行と易行について味わうきっかけをくれました。
陸路を自分の力で進んでいく難行はしんどくて苦しいものです。「帰りも自転車で」と言われたら絶対に無理だったでしょう。自転車の小旅行ですらこうなのですから、ましてや仏さまになるため厳しい行を重ね、自分の力でお悟りへの道を歩んでいくなんてとても実践できるものではありません。
でも「そんなあなたのための仏道があるのだよ」と龍樹菩薩は仰るのです。「それは阿弥陀さまの船にのることですよ。南無阿弥陀仏に出遇うことですよ」とお示しくださっています。いわば、南無阿弥陀仏はどんな者でも仏さまの世界・お浄土へ運んでくださる阿弥陀さまの船であり、誰でもお浄土へ往ける易行なのです。
ペダルの漕ぎ過ぎで、私は足が痛く満足に歩くことができませんでした。でもそんな私でも目的地である自宅へ帰ることができました。車が運んでくれたからです。阿弥陀さまの船も一緒です。私の在り方は問いません。
「あなたがお浄土までたどり着けなくても、私が必ずあなたを連れて行きますから安心してくださいね」と、既に私を船に乗せてくださっていたのが阿弥陀さまでした。
私たちはお寺の本堂やご自宅のお仏壇、様々な場所でお念仏をお称えします。それは、もう既に阿弥陀さまの船に乗っているということなのです。
1987年10月12日生
大阪教区大鳥南組順教寺副住職
本願寺派布教使
