お知らせ

令和8年6月法話「唯能常称如来号 応報大悲弘誓恩」

「唯能常称如来号 応報大悲弘誓恩」

 

 兵庫教区 神戸中組 徳本寺   津 守 秀 憲

 

 

 先月の佐竹さんのご法話で、龍樹菩薩はお悟りという目的地へ向かうには難しい道と易しい道の二つがあると示されました。その易しい道とは、私が救われるために何かを頑張るということではありませんでした。阿弥陀如来が「あなたをお浄土に必ず参らせる」と今私にお救いを告げてくださり、救いの船に乗せてくださっているのです。と龍樹菩薩の説かれた阿弥陀さまのお徳をお話しくださいました。

 今回はその続きです。救いの中におさめとられたのであれば、感謝の思いから「南無阿弥陀仏」とお念仏を申して如来大悲の恩を報ずべし。受けたご恩の大きさにただ頭を下げ、感謝して生きていく念仏者の信仰生活が示されます。

 私のために広大なご苦労が注がれていたのだと聞かされていくとき、義務的な「何か恩返ししよう」という思いではなく、「そこまでしてくださっていたのか」という「感謝の思い」が湧き上がってくるのではないでしょうか。

 吉本興業にCOWCOW(カウカウ)という漫才師がいらっしゃいます。そのお一人、山田よしさんという方が2014年におばあさんとの思い出を本にした『ハイハイからバイバイまで』を出版しました。

 よしさんは家庭環境が複雑だったこともあり、一人暮らしをしているおばあちゃんに預けられて生活していたそうです。その幼少期からのおばあちゃんとの思い出話を一冊の本にまとめられました。

 どれだけワガママを言おうとも優しく聞いてくれたおばあちゃん。再婚の話もあったけれど自分のことより孫の面倒を見るのが第一と断っていたおばあちゃん。ガンになり、お見舞いに行った僕に「ご飯食べてるか」「帰りの電車賃あるんか」と最後まで心配してくれたおばあちゃん。さまざまなおばあちゃんとの思い出がこの中に書かれておりました。

 よしさんは本の最後、自問自答をされていきます。「ぼくのばあちゃんはいつも僕の手を引いてくれて僕のためにご飯を作ってくれた。洗濯して掃除して文句を聞いてくれて、いつも僕の心配をしてくれた。ずーと僕のばあちゃんをしてくれた。おばあちゃんはそんな人生でよかったのだろうか。満足していたんだろうか…。

 でもそれほどの思いをもって僕のことを育ててくれていたんだね。老後をすべて僕に注いてくれたんやね。ばあちゃんはそんな素振りも見せなかったけれどもこれだけ僕のことを考え、動いてくれておったのか、ばあちゃん、ありがとう」

 ここからは私の推測です。よしさんは本の執筆の依頼が来た時、おばあちゃんとの思い出をみんなに読んで笑ってもらうことによっておばあちゃんに恩返しができるかと思っていたのかもしれません。しかし、自分一人の思い出だけでは到底一冊の本は書けない、となったのでしょう。親せきや近所の人に取材をして回ります。するとみんなが口をそろえて言うのです「あなたのばあちゃんはね、よしのため、孫の為と働き続けたばあちゃんだったよ」

 そんな話を聞いているうちに返そうとしても返しきれないほどの愛情をもらっていた。と気づかされ恩返ししようという思いは消え、ただ感謝の思いでいっぱいになったのではないでしょうか。

 別におばあちゃんはお礼を言ってもらいたいから、よしさんの面倒を見ていたわけではありません。自分に注がれたおばあちゃんの愛情の話を聞かせてもらっているうちに、感謝の思いが湧き上がってきたのです。

 阿弥陀さまは救ってやるからお礼をしろ。そんなことはおっしゃりません。けれども救わんがために大変なご苦労をしてくださったと聞かせてもらった上には、お念仏はこちらの心持で言えばお礼の気持ちとして称えることができるのです。ではどれほどのお念仏をさせていただきましょうかと、蓮如上人におうかがいをすると「寝てもさめても命のあらん限りは称名念仏すべきものなり」と『御文章』にお示しです。どんな時もお念仏をさせていただきましょうとお示しくださります。やがて自分で自分の体を支えきれなくなっていったその時に、阿弥陀さまから「あなたのご報謝の生活、尊かったよ」とおっしゃっていただき阿弥陀さまと共にお浄土へ参らせて頂くのです。してもらうことを「当たり前」と受け取っていくのではなく「お礼のいえる人生を歩んでくれよ」という信仰生活までもが阿弥陀さまからのご用意でありましたとお聞かせに預かります。


津守秀憲
1985年6月28日生
神戸中組徳本寺住職
本願寺派布教使
布教使課程指導員を経て本願寺布教専従職員在職中
本願寺派輔教


トップへ戻る