お知らせ

令和8年7月法話「光闡横超大誓願」

光闡横超大誓願

大阪教区榎並組信徳寺 小西善憲

 

 今月は親鸞聖人が大切にされた七人の高僧方の二人目、天親菩薩のお心を伺っていきたいと思います。天親菩薩はインドのお生まれで、四世紀ごろにご活躍されたと言われています。もともと自らの救いのみを求めていくグループに属しておられましたが、兄である無着菩薩(むちゃくぼさつ)のおすすめで、他者とともに救いを目指していく大乗仏教へと転向されました。その中で『浄土論(無量寿経優婆提舎願生偈/むりょうじゅきょううばだいしゃがんしょうげ)』を著され、一心に阿弥陀如来にまかせ、お浄土へと生まれていくところに私たちの救済を見ていくお方でありました。そういうこともあって親鸞聖人は「親」の一字を名に入れるくらい、天親菩薩を大切にされたのです。

 

 その親鸞聖人が大切にされた天親菩薩のお心の中で、この度は「光闡横超大誓願」ということばを味わっていきます。これは「横超のすぐれた誓願を広くお示しになられた」という意味となります。阿弥陀如来はすべてのいのちをもらさず救う誓願をおたてになられました。もらさず救うためには、条件があるともれてしまう存在が出てきます。ですので、阿弥陀さまの力にまかせるだけで救われる道を完成されました。しかもたとえいのち終えていく寸前であろうとも、まかせる中に瞬時に救われていく道です。そのことを示したのが、「横超」ということばになります。「横」は阿弥陀さまの力によってお救いをたまわることです。ちなみに横に対する竪は自らの力で頑張っていく方向性を表します。また「超」は「頓」といい、速やかにお救いをたまわることができることを表しています。だからいつ何時どうなるかわからないという私たちの抱えるいのちの問題に対して、阿弥陀如来におまかせしていく中に間に合いすぎるほど間に合うお救いが届いているということを表した「光闡横超大誓願」ということばになるのです。(この「横超」については令和7年12月法話においても中村啓誠さんが味わってくださっています。)

 

 私は最近よく祖母のことばを思い出します。祖母は病弱であった前々住職であった祖父に代わり、お寺のお勤めを一手に担っておりました。時代なのか、自転車や自動車など自ら操れる乗り物には乗れず、徒歩もしくは公共交通機関にてご門徒のお宅へお参りに伺っておりました。曲がった腰でゆっくりと歩きながら、日々のお勤めをしていました。この祖母のことばが私の中に残り続け、ふとした時に思い出されるのです。

 私が車の免許を18歳で取った時のことでした。祖母を病院へと私の運転で送迎することになりました。いざ、車に乗って出発しようかという時に、祖母は「善憲さん、乗り物はありがたいですね。間に合いました。」と言ったのです。私はまだ着いてもいないのに「間に合いました」ということばが気になりました。時間内に到着して「間に合いました」ならわかるのですが、まだ着いていない段階で「間に合いました」とはどういうことだという思いが、まだ運転に不安を抱えていた私の記憶に残っています。

 今になってこの祖母のことばを伺うと、阿弥陀さまのはたらきを日常的に味わっておられたからのことばだと感じるのです。常に「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」とお念仏申しておった祖母。南無阿弥陀仏の乗り物に乗せられた時点で間に合う、阿弥陀如来のお救いを大事にされておられました。その感覚が、私が車に乗せた時に思わず口をついた「善憲さん、乗り物はありがたいですね。間に合いました。」ということばになったのでしょう。祖母は私が20歳の時にいのちを終えていきました。ですから今となっては確かめる術はありませんが、いずれ私も阿弥陀如来のお浄土に南無阿弥陀仏の乗り物に乗せていただき生まれていく中に、再び祖母とお会いさせていただき、祖母のいろんなことばの答え合わせができたらなと思うのです。


小西善憲

1980年2月29日生。

大阪教区榎並組信徳寺住職。

本願寺派布教使。

特別法務員。

本願寺得度習礼・教師教修所期間中指導員、布教研究専従職員を経て、現在中央仏教学院講師。


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