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令和6年8月法話「有頂天」

有 頂 天

安芸教区佐伯東組光乘寺 中村啓誠

 

 喜びの絶頂のことを、「有頂天」(うちょうてん)と言いますね。みなさんは今までの人生で、「有頂天」になったことはありますか? わたしはあります。妻と結婚したとき!

 でもその喜びが、その後の結婚生活でもずーっと続いているかというと… ごめんなさい(こんな夫でも見捨てないでいてくれる妻には、感謝しかありません)。

 「有頂天」とはもともと、瞑想によって到達する「迷いの世界の中の、一番上の境地」をあらわす、仏教用語なのです(「非想非非想処天」─ひそうひひそうじょてん─とも言います)。さとりを開く前のお釈迦さまは、この境地にすぐに到達できたのだそうですが、「こんなのは瞑想をやめたらすぐにもとに戻る、一時的な『無』の境地に過ぎない。ほんとうの安らぎとは違うものだ」と気づかれ、やがて菩提樹の下で、ほんとうのさとりを開かれた、と伝えられています。これは仏教用語の「有頂天」ですが、世間一般で言う「有頂天」もまた、〈どこか危なっかしい姿〉だと言えそうです。

 詩人の高野つるさん。千葉県で農業をしながら、方言で詩をかかれます。

 

  花は小さいほうがよがっぺ

  なんでだって?

  そりゃ きまってるがな

  萎(しぼ)んだ時のこと考えでみろや

  大(いが)え花は 悲しみもまた 大(いげ)えからよ

  幸福(しあわせ)も やっぱり小粒(こつぶ)がよがっぺ

  なんでだって?

  そりゃ きまってるがな

  大(いが)え幸福 つかんでみろや

  有頂天になっちゃって

  おらの目ん玉さ 他人(ひと)の涙が

  見えなく なっちゃうからよ

 

(「小さい方がいい」/高野つる第三詩集「足(あしょ)んこの歌」より)

 

 この詩の最後に、「私が小学四年生の時、ばあちゃんがいったこと」とあります。

 つるさんは幼いとき、お父さんが失踪したので、お母さんとおばあちゃんの二人に育てられました。おばあちゃんからしたら、息子がある日突然家出して、帰ってこないわけです。必死で孫を育てながら、泣くこともあったでしょう。でもそんな辛い思いをしたからこそ、今までは見えていなかった、人の悲しみも少しは見えるようになったし、自分のために泣いてくれる、まわりの人の優しさにも気づくことが出来た。おばあちゃん、そのことを人生の宝にしておられたのですね。だから孫にも伝えたかったのでしょう、〈大きな幸せはつかまなくてもいい。人の涙が見える人になりなさいよ〉って。

 幸せとは究極のところ、「健康」や「お金」や「出世」ではないのでしょうね。それらは大きければ大きいほど、失ったときの苦しみも大きいものです。「有頂天」のときに一番見えなくなっているもの、それは人の涙。自分一人の幸せに夢中で、いのちのつながりが見えなくなっている、危なっかしい姿が、「有頂天」です。むしろ、辛い出来事にたくさん出遭ったとしても、そのことでかえって、人の悲しみをわが事のように感じる豊かな心が育てられていくなら。流してきた涙も、無駄ではなかったと言えるのではないでしょうか?

 人の悲しみをわが悲しみと感じる心を、「慈悲」(じひ)と言います。浄土真宗で大切にする阿弥陀さまという仏さまは、すべてのいのちの苦しみに共感するその「大慈悲」(だいじひ)のお心から、願いをおこされました。〈いのちのつながりが見えなくなっていて、自分一人の幸せばかり追い求め、そのためにいつまでも苦しんでいるあなたを、放っておけない。あなたをわたしと同じ、「大慈悲」の心の仏にしたい〉と。

 わたしが絶好調で「有頂天」になっているときも、絶不調で悲しみのどん底にいるときも。

 いつも見守って、育てつづけてくださっている仏さまが、阿弥陀さまなのです。

 


中村啓誠

1969年8月24日生。
安芸教区佐伯東組光乘寺衆徒。
本願寺派布教使。
布教研究専従職員を経て、現在布教使課程専任講師。
広島県呉市在住。

 


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