お知らせ

令和7年5月法話「「法蔵菩薩因位時 在世自在王仏所ーほうぞうぼさついんにじ ざいせいじざいおうぶっしょ」

「法蔵菩薩因位時 在世自在王仏所」

 

大阪教区大鳥南組順教寺佐竹大智

 

正信偈の『法蔵菩薩因位時 在世自在王仏所』というお言葉を味わっていきたいと思います。
正信偈の意訳である『しんじんのうた』には上記のお言葉を『法蔵比丘のいにしえに世自在王のみもとにて』と記されています。

 阿弥陀さまは元は法蔵という修行者で、世自在王仏という仏さまのもとにいらっしゃったというのです。
ちなみに世自在王仏とは、世間の中にあって自在に人々を教化していく姿がまるで王様のようであることからそう称される仏さまです。
仏説無量寿経には、『あるとき国王がいて…』と説かれています。その王様は世自在王仏という仏さまのご説法を聞かれて大変に感銘を受けられました。「自分もあの方のような仏さまとなりたい、すべての者を救っていく存在になりたい」と決意され出家をされます。

 その時に名告られたのが法蔵というお名前でした。お経には更に法蔵菩薩が様々なご苦労の末、阿弥陀さまとなられたと説かれていきます。
ここで味わっていきたいのは王様が世自在王仏のお説法を聞いて出家をされたという説話です。

 謂わば王様とは私たちが欲しいものを全て持っている象徴的な存在です。それは権力・財産・名誉。権力はちょっと大袈裟な表現ですが、要は「何でも自分の思い通りにしたい」ということです。

 例えば人間関係。好きな人とは一緒にいたいけど、嫌な人とは会いたくないのが人情です。

 でも嫌な人とも付き合っていかないといけないのが現実の辛いところですよね。
昔アルバイトをしていた時、私のことをよく叱る先輩がいました。とにかくあれこれ叱られるので、職場に通うのが憂鬱でした。先輩がアルバイト先を早く辞めてくれないかと本気で願ったこともあったほどです。もしあのとき私に権力があったら即先輩をクビにできたでしょうが、残念ながらそれはできませんでした。当たり前ですが私に権力がなかったからです。

 権力さえあれば自分の好きな人ばかりと付き合うことができます。

 まさに自分の思い通りにできるのです。ある調査によると人間関係の悩みを抱えている人は9割近くもいるそうです。

 権力さえあればそれが解消されるのですから、やはり私たちは自分の思うようにしたいのかもしれませんね。財産はお金。名誉は周りから認められることです。どれも欲しいものばかりです。
そして凄いのは王様が仏さまの教えに出会って、私たちがなんとか手にしたいと思っているものを捨てたということです。

 仏法の前では権力も財産も名誉も空しいものとなっていく。本当の意味での人間の救いにはならない。そこに本当の幸せはないということをこの説話は物語っているのではないでしょうか。
もちろん、これは私に権力やお金を捨てなさいと言っているのではありません。世俗に生きる私たちは最後まで権力への願望やお金を手放すことはできないでしょう。
私にはこの説話は「あなたはどちらを向いて生きていきますか」という問いのように感じられます。「世俗の中でしか生きることができないあなたが救われていく道は南無阿弥陀仏の救い以外に他はないのですよ」と、権力・財産・名誉や様々なことに執われ、苦しむ私にこの上ない人生を歩ませたい、と二人の王の姿を通して描かれている気がするのです。
そして法蔵菩薩がご苦労の末に阿弥陀さまとなられたということは、「あなたの人生を決して空しいものとはさせない、必ず仏として仕上げていく」と、権力への願望やお金を捨てられないこの私の人生を空しく終わらせず救うためだったのでした。
仏さまとは一切の見返りを求めず相手の幸せを願い、その実現に尽力していかれるお方です。

 そういういのちにこの身終わるときに成らせて頂けるのです。

 


1987年10月12日生

大阪教区大鳥南組順教寺副住職

本願寺派布教使


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