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令和7年8月法話 「本願名号正定業─ほんがんみょうごうしょうじょうごう─」

本願名号正定業─ほんがんみょうごうしょうじょうごう─

 

安芸教区佐伯東組光乘寺 中村啓誠

 

「正信念仏偈」の十七句目は、「本願名号正定業」(ほんがんみょうごうしょうじょうごう)という言葉です。「本願」とは、浄土真宗で大切にしている阿弥陀如来(あみだにょらい)という仏さまがおこされた願いのこと。「迷えるすべてのいのちを、さとりの世界=浄土(じょうど)に生まれさせ、仏にしたい」。この願いを成就された阿弥陀さまが、わたしたちに呼びかけてくださっている〈名のり〉の声が、「名号」=南無阿弥陀仏です。

 

わが子よ、あなたを苦しみから救える仏になったんだよ!

どんな時もわたしが念仏の声となって、あなたと一緒にいる。

だからどうか安心してわたしにまかせて、浄土に生まれる人生を歩んでおくれ。

 

なんまんだぶ、とお念仏を称えることは、苦しむ者を放っておけない、阿弥陀さまのこの「名のり」の声を、わたしたちの方が聞かせていただいていることだったのですね。

 

 それは、苦しみ悲しみの多いわたしたちの人生を、今ここで〈必ず浄土に生まれる『仏の子』の人生〉に定めてくださる尊いおはたらきだから、「正定業」と言います。

 明治41年、島根県松江市に生まれた上代絲子(じょうだいいとこ)さんは、与謝野鉄幹・晶子夫妻に師事した歌人。後妻として結ばれた夫には、五人の子どもがいました。そのうち二人は結核療養中。結婚後すぐ子どもの看病に尽くしますが、その甲斐もなく二人の子は亡くなり、もう一人の子も亡くなり、続けて夫も病死します。収入が途絶えた絲子さん。残る二人の子を養うため、しばらくは家財道具を売るなどして生活費を稼ぎました。

 

 空びんを 売りておやつを子に与へ 喜ぶ顔を川風の吹く

屑物を あさりて買ふと語らへば 人言う 君も人間の屑

 

 42歳から、日雇い労働に従事するようになります。早朝から地下足袋を履いて工事現場に向かう日々。以後38年間、真っ黒になってはたらきました。

 

寝(いね)たりと 思えば早も夜の明けて きのう濡れたる地下足袋をはく

 

 苦難の人生を支えたのは、お念仏でした。酒好きだけど、お寺でお話を聞くのも好きだった甚造おじいさんの膝で、幼い絲子さんがいつも聞かされたのは、やさしい、あたたかい、阿弥陀さまのお慈悲の話。おじいさんの口癖は、「どんな宝も持って歩くことはできないが、お念仏だけはどこにでも持って行くことのできる一生の宝だよ」「お念仏を称えるときは一人だと思うなよ。いつも如来さまが一緒だぞ」。

 

祖父を継ぐ 南無阿弥陀仏その外は 我れに宝の何ひとつなし

 

 苦しみが多かったぶん、お念仏のよろこびも多かった絲子さん。平成23年、その豊かな人生を終えてゆかれました。「人間の屑」というような、心無い蔑みの言葉しか聞こえてこない世界では、人は決して生きてゆけないのです。わたしたちのいのちに尊厳を与えてくださるもの。それはお金でも健康でもありませんでした。

 

あなたは仏の子。わたしの子だよ。胸を張って生きなさい──────

 

「本願名号正定業」。南無阿弥陀仏と称えたら、いつでもどこでも誰にでも聞こえてくる、やさしくてたのもしい、阿弥陀さまの声がある。苦しみ悲しみの多いわたしたちの人生を、いちばん底からささえてくださるこの「名のり」の声こそ、すべてのいのちに尊厳を与えてくださる、ほんとうの「宝」だったのですね。

 

 

(参考:上代絲子さん「地下足袋のうた」一休社

本多昭人師「念仏は大きな力となって─上代糸子さんの歌と人生─」探究社)


中村啓誠

1969年8月24日生。
安芸教区佐伯東組光乘寺衆徒。
本願寺派布教使。
布教研究専従職員を経て、現在布教使課程専任講師。
広島県呉市在住。

 


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