お知らせ

令和8年4月法話「印度西天之論家 中夏日域之高僧 顕大聖興世正意 明如来本誓応機」

印度西天之論家 中夏日域之高僧

顕大聖興世正意 明如来本誓応機

 

安芸教区佐伯東組光乘寺 中村啓誠

 

 今月から『正信念仏偈』の後半=依釈段(えしゃくだん)を、みなさんとご一緒に味わってまいります。「印度西天之論家 中夏日域之高僧 顕大聖興世正意 明如来本誓応機」とは、「(今から讃える)インド・中国・日本の高僧がたは、〈お釈迦さまがこの世にお出ましくださった本意は、阿弥陀さまの本願の救いを説くことだったんだよ。その本願の救いこそ、わたしたちに一番ぴったりの教えなんだ〉と明らかにしてくださいました」という意味です。その高僧とは、インドの龍樹菩薩(りゅうじゅぼさつ)・天親菩薩(てんじんぼさつ)、中国の曇鸞大師(どんらんだいし)・道綽禅師(どうしゃくぜんじ)・善導大師(ぜんどうだいし)、日本の源信和尚(げんしんかしょう)・法然聖人(ほうねんしょうにん)の七人。

親鸞聖人が選ばれた七人で、「七高僧」(しちこうそう)とお呼びします。

 

 「高僧」? わたしたち庶民とは縁のない『雲の上の人』ってこと? ────違うのですね。この七人に共通しているのは、全員が、「わたしは愚かな凡夫。自力でさとりを開くことなど出来ないからこそ、阿弥陀さまの本願におまかせし、お浄土に生まれようと思っているのです。みなさんもご一緒に!」というスタンスの方たちだ、という点。エリートのための仏教ではなく、「愚者のための救い」である本願念仏の道を、ご自身の歩む道として、(単なる前例踏襲ではなく)新しい独自の観点から著作にあらわしてくださった方たちなのです。〈仏教とは、この世界でわたしたちが、智慧を磨いて賢くなっていく道だ〉と考えられてきた、長い仏教の歴史の中で、「いや、ちがう! 愚かなわたしたちを『そのままで救う』という、阿弥陀さまの本願の救いを聞いて、みんなでお浄土に生まれてゆける道こそ、ほんもの仏教なんだ!」と言い切ってくださったのが、この七人でした。

 

 85歳になるわたしの母の認知症が、だいぶ進行してきました。病院から母に貸与されたスリッパを退院時にわたしが返却しようとすると、母は、「これは自分が娘時代から使ってきたものなのになぜ取り上げるのか」といって、スリッパを握りしめて離さないのです。小さく、しわだらけになった母の手から無理やりスリッパをもぎとると、母は子どものように泣き始めます。かつてあんなにやさしくて、あたたかくて、大きな存在だった母が、別人のようになってしまった。息子であるわたしも悲しくて、悲しくて。母にやさしく出来ない自分も嫌で、ひとりの時に泣いてしまいます。

 

────人生って、後半戦になるほど、つらくなるのですね。老いた親も、その世話をする息子も、煩悩をむき出しにして、悲しい修羅場を描き出すから。

 

 でも同時に、この人生の後半戦は、「愚者のための救い」の有り難さをいよいよ実感できる、尊い道場でもあったのですね。もしも仏教が「賢くなっていく道」だとしたら、母もわたしも救われないのです。人はみんな最後、何にもわからなくなっていのち終えてゆきます。「それでも大丈夫! 『賢くなれないあなたをそのままで救う』という、阿弥陀さまの本願があるから」。そう言い切ってくださった、きら星のような方々がおられる。親鸞聖人がこの七人を特に選ばれたのは、そのためでした。

 

 薬でおちついている時の母と一緒にお念仏を称えたら、阿弥陀さまやお釈迦さま、七高僧さま、親鸞聖人が、みんなで母とわたしを励ましてくださっているような気がしました。

 「胸をはって生きなさい。あなたたちは尊い仏の子だ」。

 

 さて、この七高僧さまをお一人ずつ讃える『正信念仏偈』の後半。ご一緒に聞いてまいりましょう。


中村啓誠

1969年8月24日生。
安芸教区佐伯東組光乘寺衆徒。
本願寺派布教使。
布教研究専従職員を経て、現在布教使課程専任講師。
広島県呉市在住。

 


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