お知らせ
令和8年9月法話「三蔵流支授浄教 焚焼仙経帰楽邦」
「三蔵流支授浄教 焚焼仙経帰楽邦」
大阪教区大鳥南組順教寺 佐竹大智
今月は曇鸞大師のお徳をお讃えになられた一節を味わっていきます。
曇鸞大師は476年に中国でお生まれになり、後に優れた仏教学者となられました。
『大集経』という膨大な量のお経の注釈をすることを志しますがご病気になられ「このままではお経の研究ができないし、この世で仏となる為に修行に励むこともできない」と仏道を完成できるか心配になられます。そこで、研究と修行に打ち込めるよう不老長寿の教えを求めて、はるか遠い地にいる仙人を訪ねるのです。
苦労に苦労を重ね、無事、仙人から不老長寿の教えの説かれた仙経十巻を手に入れた帰り道で菩提流支(ぼだいるし)というお坊さんに出会います。
曇鸞大師は、「私は仏教の研究を続け、修行してこの世で悟りを開く為には長生きして健康でなければならないと思いました。ですから苦労して仙人の元を訪ね不老長寿の教えが書かれた仙経を得てきました。ところで仏教にも不老長寿の教えがありますか」と尋ねられたそうです。
その言葉を聞いた瞬間、菩提流支は厳しい表情で曇鸞大師にこう仰ったそうです。「仙術の不老長寿はしばらく長生きできるだけであって、私の本当の救いとはならないぞ。今、私が持っている浄土の経典には阿弥陀仏の力によって速やかにお悟りを開かせていただきける法が説かれている。仏教の目的は不老長寿ではない。仏となり生と死を超えることなのだ」。
菩提流支からの厳しい言葉に、曇鸞大師はハッと目が覚め、仙経を焼き捨てたそうです「焚焼仙経」とはこのことを表し、「三蔵流支授浄教」とは曇鸞大師ご自身が救われていく教え、浄土の経典を菩提流支から譲り受けたという意味になります。「楽邦」とは安楽仏国という意味でお浄土を指し、「帰」とは帰依すること、つまり阿弥陀さまの教えを人生の依りどころとされたということです。
折角、遠路はるばる不老長寿を求めてやってきたのに、仙経を焼き捨てなくても…と私などは思ってしまいます。なぜ曇鸞大師はこんな行動を取られ、親鸞聖人も文字数の限られた中でわざわざこのエピソードを記されたのでしょうか。
小学生だったとき、TVゲームをしていたら自分の操作するキャラクターの進む道が二つか三つに分かれていて、どの道に進めばいいのか悩むことが度々ありました。いくつかある選択肢の中から一つを選び道を進んでいきます。すると画面が切り替わり、急に強い敵が攻撃をしかけてきて泣く泣くゲームオーバーとなったことも数知れず。ゴールに向かうのに難しい道を選んでしまっていたのです。悔しくて再挑戦し、また同じ場面にやってきたとき、先ほどとは違う道を選ぶと画面が切り替わり難なく進めることもありました。
今思い出すと、仏教を考えていく気づきを与えてくれた気もします。
5月の法話でもご紹介したように、仏教には一部の能力の優れた人のみが歩める「難行道」と、心弱き愚かな凡夫であっても阿弥陀様の力で必ず浄土に生まれていく「易行道」の二つがあります。
難行道は仏となるために、ひたすら努力してこの世で悟りを開く厳しい道です。
反対に易行道は、阿弥陀様の「あなたを救う」という仰せを聞き、お念仏申していき浄土で悟りを開いていく道です。
仙経を焼き捨てたのは、曇鸞大師にとって、たとえ不老長寿で長生きをして修行を重ねても仏さまとなれる可能性が全くない道、つまり難行道を捨てることを示しています。
そして浄土の教えを依りどころとしていったのは、曇鸞大師が阿弥陀さまにおまかせしていく易行道を選ばれ、同時に私たちに勧めて下さっていると受け止めることができます。
『スッタニパータ』という初期のお経典に
「一切の生きとし生けるものは、幸せであれ」
とお釈迦さまも仰ってくださっています。
以前、ある先生から「仏さまになるということは、最高に幸せな存在になることだ」と聞かせていただいたことがあります(もちろん私たち凡夫が思い描く幸せとは次元が違いますが)。
一部の能力のある人のみが悟りを得られる難行道は残念ながら全ての人が幸せになれない教えです。それはお釈迦さまの本意にかなったものと言えるでしょうか。
易行道、つまりお念仏を称え阿弥陀さまにおまかせしていく浄土の教えこそ、全てのものが仏となり、幸せな存在になれる教えなのだ、ということを曇鸞大師のエピソードは物語ってくれています。
1987年10月12日生
大阪教区大鳥南組順教寺副住職
本願寺派布教使
