本年は、戦後80年にあたります。まず、先の戦争において、亡くなられた世界のすべての方々に、心からの哀悼の意を表しますとともに、また、戦争で家族を失い、家を失い、さまざまな辛苦を受けられた方々の苦難はいかばかりであったかと拝察いたします。
戦争は、いのちを奪い、いのちの尊厳を踏みにじることを国と国との間で集団的に行うという、人間の愚かさが最も惨むごたらしいかたちで現れる行為です。第二次大戦ではアジア・太平洋で、そして世界の各地で、当時の敵も味方も、戦闘員に限らず多くの市民が犠牲となられました。日本の地でも、沖縄は凄惨せいさんな地上戦を経験し、広島と長崎は原爆によって人もまちも破壊され、また東京や大阪などの都市をはじめ多くのまちも空襲に焼かれました。しかしながら、その戦争に協力し、戦争を賛美したことも、私たち教団の歴史です。
「さるべき業縁のもよほさば、いかなるふるまひもすべし」と親鸞聖人がお示しになられたように、み教えに照らされ知らされてくる私たちのまことの姿は、状況次第でどのような悲惨な行いもなしてしまう可能性を持つ、なんともあさましい姿です。だからこそ、悲惨な行いを導いてしまうような状況を決してつくりだしてはならないのです。
戦後、私たち教団は全戦没者追悼法要をはじめ、さまざまに平和の実現へ取り組んでまいりました。一方で、戦争を経験していない世代が人口のほとんどを占めるようになった今日、戦争がもたらした痛苦の記憶は遠いものとなりつつあります。当時の国や社会の状況を批判することなく、それが正しいことであるかのように取り違えてしまった私たちの歴史を省みて、「念仏のみぞまことにておはします」との親鸞聖人のお言葉をよりどころとして、慚愧ざんぎの 念おもい をいだいて、過去を風化させてはなりません。
私たちは、過去・現在・未来のすべてのいのちは、仏に願われ生かされていることに気づかせていただくのです。過ぎ去った方々を敬い、いまの私たちを大切にし、さらにこれから生まれるいのちに願いを伝えなくてはなりません。
先人たちが語り伝えてくださった、戦争による辛く苦しい体験を無駄にせず、語り継いでいくことができるのが私たちの教団であり、いまもなお、この瞬間さえも世界の各地で行われている戦争や紛争での人々の苦しみや悲しみに思いを寄せ、自らの生きざまに反映し、お念仏申して、次の世代に伝えていくことが、私たちの教団の大切な役割と考えます。
過去を反省し、問い続け、私たちがいま何をなすことができるか、将来の世代に何を残していくかが大切でしょう。戦後80年にあたって、平和を願うメッセージといたします。
2025(令和7)年4月14日
浄土真宗本願寺派
総長 園 城 義 孝
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