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2026.02.01 お知らせ

令和8年2月法話「難中之難無過斯」

「難中之難無過斯」

 

 兵庫教区 神戸中組 徳本寺   津 守 秀 憲

 

 

 「正信念仏偈」は浄土真宗のみ教えが六十行、百二十句にて簡潔に示された讃歌です。正信念仏偈は大きく二つの部分によって構成されています。「帰命無量寿如来 南無不可思議光」の二句に続く前半は、「依経段」と言われます。お釈迦さまが説かれた『仏説無量寿経』に依って浄土往生の因を明かし、一切衆生を救うとお誓いくださった阿弥陀如来のご苦労を讃嘆しています。後半の部分は「依釈段」と呼ばれます。インド・中国・日本でこの教えを正しく伝えた七高僧の業績・徳を讃嘆しているのです。今回は「依経段」の最後の句、「難中之難無過斯」です。

 

 

お釈迦さまは「阿弥陀如来のお救いを聞き受けていくのは非常に難しいことだ」と述べられます。

『仏説無量寿経』に「若聞斯經 信樂受持 難中之難 無過此難(もしこの経を聞きて信楽受持することは難のなかの難、これに過ぎたるはなけん)」。また『仏説阿弥陀経』には「爲諸衆生 說是一切世間 難信之法(もろもろの衆生のために一切世間難信の法を説きたまふ)」とお説きになられるのです。

 

 

全ての者が救われていくことが出来る、それほど易しいみ教えであるのに、それが何よりも難しいとはどういうことでしょうか?

 

 

浄土真宗は「如来何をなしたもうたか」と聞く宗教です。私が救われることに私の側に一切の条件はありません。

しかし私たちは「頑張ったらご褒美がある」という価値観の中で日常生活を営んでいます。だから「我何をなすべきか」という頭で阿弥陀さまのお救いを掴みにいこうとするのです。世間の常識や自らの力をあてたよりとする心では信じ難い法であるから阿弥陀さまのお救いが「難」だというのです。

 

 

 とある、お念仏を喜ぶご門徒さんから「阿弥陀さまの話を聞くコツ」というものを教えていただいたことがありました。

 「ご法話が始まる前にまずイメージをするんです。まずは自分の頭を開いてこの頭の中に詰まっている脳みそを取り出します。ご法話の間はこの脳みそは自分の側に置いておく。お話しいただいた阿弥陀さまの話を私の脳みそを通さず聞くばかり。脳みそが空いたスペースに阿弥陀さまのお慈悲が入ってきますよ」

もちろん実際に脳みそを取り出すのではありません。ここでいう自分の脳みそというのは「自らの計らい、賢さ」というものを表しているのでしょう。つまりはお救いにあずかるには自分の賢さが役に立つという考え方です。しかし、脳みそをのける時、自分の考えは用いることは出来ません。「如来、何をなしたもうたか」阿弥陀さまのお慈悲がそのままこの身に入り充ちてくださいます。

 

 

お釈迦さまは「依経段」において「阿弥陀如来の仰せを疑うなよ。貴方のためにと向けられた救いにお任せするしかないのだぞ」と阿弥陀さまのお救いの尊さを示しつつ、そのお救いを私たちに勧めてくださったのでした。


津守秀憲
1985年6月28日生
神戸中組徳本寺住職
本願寺派布教使
布教使課程指導員を経て本願寺布教専従職員在職中
本願寺派輔教


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