尾崎別院本堂内部には、内陣矢来間境の欄間(内陣と外陣の境の上部)に6体、内陣に2体配置されています。
内陣矢来間境の欄間(内陣と外陣の境の上部)の6体には、二十四孝彫刻が採用され、全て彩色が施されています。
二十四孝とは、、中国の書物に登場する、後世の範として孝行が特に優れた24人です。日本にも伝来し、仏閣等の建築物に人物図などが描かれており、御伽草子や寺子屋の教材にも採られているようです。二十四孝 – Wikipedia
今回ご紹介するのは内陣に向かって左から2つ目の蟇股です。
郭巨の家は貧しかったが、母と妻を養っていた。妻に子供が産まれ、3歳になった。郭巨の母は孫を可愛がり、自分の少ない食事を分け与えていた。郭巨が妻に言うには「我が家は貧しく母の食事さえも足りないのに、孫に分けていてはとても無理だ。夫婦であれば子供はまた授かるだろうが、母親は二度と授からない。ここはこの子を埋めて母を養おう」と。妻は悲嘆に暮れたが、夫の命には従う他なく、3歳の子を連れて埋めに行く。郭巨が涙を流しながら地面を少し掘ると、黄金の釜が出て、その釜に文字が書いてあった。「孝行な郭巨に天からこれを与える。他人は盗ってはいけない」と。郭巨と妻は黄金の釜を頂き喜び、子供と一緒に家に帰って、さらに母に孝行を尽くした。 二十四孝 – Wikipedia
京都の祇園祭先祭の山の一つに郭巨山(かっきょやま)があります。
郭巨山は、京都市下京区四条通西洞院東入の郭巨山町から祇園祭の山鉾巡行に参加する山です。
上記のような二十四孝のひとりである郭巨の釜掘りの故事にちなんだもので、その由緒から「釜掘り山」とも呼ばれてきたそうです。
郭巨山には、鍬を持った郭巨の姿が再現されており、またその傍には黄金の釜も置かれています。
祇園祭りに行かれる際は、一度ご覧ください。
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