国立国会図書館デジタルコレクションより
尾﨑村にあり
初メは此地の艸堂にしてある時一老父來りて一夜を明す
翌帰るに逮んで負來りし笈をこゝに殘す
其後これを開きみるに内に蓮如上人染筆の六字の名号 善導大師釋文の一軸等あり
然るに慶長三年願主桒山伊賀守の家臣石田次郎左衛門といふもの眞宗を甚帰依し此地に新に十間餘の御堂を造立し初メの本尊を移し本願寺第十二代准如上人に寄附せしより本御門主御懸所と成 今尾﨑御坊と称す
慶長3年(1598)本願寺准如をもって開山とし、その後、元禄13年(1700)に火災を被った。宝永2年(1705)に堂宇が再興され、現在の建物はこの時のものが多いと考えられるが、当寺には建物の記録の類はほとんど残されていないようである。
伽藍は北東に向き、表門の正面に本堂が建ち、本堂の右手に庫裏があり、本堂と庫裏間に式台玄関を設け、この式台玄関の後方に対面所・書院などを配す。周囲には土塀をめぐらし、表門の右脇には茶所と長屋が並び、この長屋の隅部に鼓楼を置き、庫裏横に長屋門を置く。表門の右側には、手水屋と鐘楼を配す。
しかし『和泉名所図絵』(寛政8年刊、1796)をみると、本堂庫裏間には対面所等の建物は見られず、これらは反対側の本堂の左手に見え、現在の配置となったのは年代が降ることがわかる。
『大阪府の近世社寺建築 ~近世社寺建築緊急調査報告書~』(昭和62年3月 大阪府教育委員会文化財保護課 発行)より
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