お知らせ

2024.04.01 ご報告

仏教婦人会総会開催

4月1日午後1時30日から本堂に於いて「2024(令和6)年度仏教婦人会総会」を開催いたしました。

お勤めの後、真宗宗歌、仏教婦人会綱領を唱和し始まりました。

輪番の挨拶の後、前年度役員さんへの記念品を代表して前年度会長に贈呈させていただきました。

その後、前年度会計報告、会計監査報告に続き新年度の役員さんの紹介です。

今年度から、新しい体制として全会員を3つの班に分けて、その一つを当番班とすることになりました。

令和6年度はA 班です。

最後に来年度の法要行事予定などを確認し、恩徳讃斉唱で終わりました。

 

今年度から新しく生まれ変わった仏教婦人会がスタートします。

是非ご参加ください。

 

 


2024.04.01 お知らせ

仏教讃歌練習会用の歌詞ファイルができました

尾崎別院の仏教婦人会では毎月第2・第4木曜日に歌の練習会を開催しています。

仏教讃歌や季節のお歌を中心に、会員さんが集まり練習しています。

これまで当日役員さんが、その日の歌をコピーしてご用意いただいていましたが、このたび婦人会で、この練習会で使用する歌詞をつづったファイルを作成いたしました。

①春の歌・夏の歌

②秋の歌・冬の歌

③仏教讃歌・愛唱歌

と3つに分けてファイルされています。

ご参加になられる方は、お寺に備え付けていますので、家から歌詞を持ってこなくてもよくなりました。

どうぞ多くの皆さんのご参加をおまちしております。

 

 

 


令和6年4月法話「大袈裟」

大 袈 裟

安芸教区佐伯東組光乘寺 中村啓誠

 

 今年度より12回のシリーズで、「生活の中の仏教用語」をテーマに、みなさんとご一緒に、阿弥陀さまという仏さまのお心を味わってまいりたいと思います。

 第1回は、「大袈裟」(おおげさ)。「そんなオーバーな」という意味で、「そんな大げさな」と言ったりしますね。「袈裟」(けさ)とはもちろん、お坊さんが身に着けている法服のこと。お釈迦さまの頃は「糞掃衣」(ふんぞうえ)と言って、捨てられた布の切れ端を縫い合わせた、粗末なものでしたが、仏教がインドから中国、日本に伝わり、皇帝や貴族を外護者として栄えるにつれ、身に着ける袈裟も次第に、金襴(きんらん)を使ったりして、華美なものになっていきました。儀礼の際に、大きな袈裟を身に着けたお坊さんの様子が、いかにも〈儀式ばっている〉〈大仰(おおぎょう)である〉というので、やがて「オーバーなこと」を「大袈裟」と表現するようになったのです。なんだか、〈中身は全然立派じゃないくせに、立派な袈裟を着けて、自分を大きく見せようとしている!〉と、堕落したお坊さんを批判する言葉のようにも聞こえて、耳が痛いです…。

 お盆参りのさいちゅう、水分補給のためコンビニに寄って、飲み物を買うことがあります。お袈裟を着けているので、変に〈お坊さんのイメージ〉を気にしてしまい、ほんとうはカフェオレを飲みたいのに、お茶を買ってしまいます(誰に忖度してるんだろう…)。でもお袈裟のおかげで、〈レジ待ちで割り込みされても、ニコニコしていられる〉という、良い面もあります。〈いま自分はお袈裟を着けている。イライラしちゃだめ!〉と、自分の心にブレーキがかかるのです。逆に言えば、お袈裟を着けていないときのわたしが、いかに怒りっぽい人間か… それは、わたしの妻が一番よく知っています。わたしの法話をyoutubeで見た妻はきっと、「中身は全然立派じゃないくせに、立派な袈裟を着けて、自分を大きく見せようとしている!」と感じているはず。お袈裟を着けていないときでも、「この人はお坊さんらしいお坊さんだ」と(家族からも)思われるような、心やさしいお坊さんになりたいなあ、とつくづく思います。

 浄土真宗の開祖・親鸞聖人は、〈袈裟を着けることで自分を大きく見せようとする人〉ではありませんでした。「外面だけ賢そうな振る舞いをするのはやめよう。わたしの内面にはいつだって、うそいつわりしかないのだから」と、自分が凡夫であることを決してごまかさなかったお方です。聖人にとってお袈裟とは、それを身に着けることでかえって、「仏弟子らしからぬ、自分の愚かさ。小ささ」に気づかせていただくような法服だったことでしょう。

 必死で自分を大きく見せようとするところに、わたしたちの愚かさ、小ささがあります。

 でもそんなわたしたちの心の内側まで全部知り抜いた上で、それでもなお、誰ひとり見捨てることなく、「あなたは必ず仏になる、尊い仏の子だよ」と、ひとりひとりに呼びかけてくださっているのが、聖人が大切にされた、阿弥陀さまという仏さまなのです。ですからわれわれお坊さんは、お袈裟を着脱するとき、仏さまの広大なおはたらきを思いながら、うやうやしく額に押し頂いてお礼をします。「阿弥陀さま。わたしの人生に『仏の子』という、尊い意味を与えてくださって、ありがとうございます! みんなが救われていくこの道を、精一杯お伝えさせていただきます!」と。

 「大きい」のは、お袈裟を着ける人間ではなくて、すべてのいのちを底なしに包む、仏さまのお心です。「大袈裟」という言葉は、むしろそのことをわたしに教えてくれました。

 


中村啓誠

1969年8月24日生。
安芸教区佐伯東組光乘寺衆徒。
本願寺派布教使。
布教研究専従職員を経て、現在布教使課程専任講師。
広島県呉市在住。

 


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