お知らせ

2月常例法座をお勤めいたしました

毎月一日(1月、4月を除く)は本願寺尾崎別院の常例法座の日です。

この日も寒かった。しかし本堂の中は暖かいご法話で、参拝者のお心も暖かくなっていました。

この日は令和6年能登半島地震から1か月。

ご法話の初めにご講師より追悼のお言葉を述べられました。

参拝者一同、亡くなられた方々に哀悼の誠をささげさせていただき、被災されている方々にお見舞い申しあげさせていただきました。

ご法話は、ご講師の人柄がよく出ていて、優しく丁寧に、この私に届いているご本願の働きについてお味わいを聞かせていただきました。

 

次の常例法座は、3月1日午後1時30分から

ご講師は 大阪教区の野田茜さんです。

どなたさまもお参りください。 


令和6年2月法話「如月忌 ~先人の足跡をたどって~」

如月忌 ~先人の足跡をたどって~

 

大阪教区茅渟組正法寺     豊田悠

 

 

 一段と冷え込む季節となりました。みなさまいかがお過ごしでしょうか。さて、本願寺では、毎年2月7日に仏教婦人会を中心に九條武子(くじょうたけこ)さまのご命日を偲んで「如月忌(きさらぎき)」をお勤めしています。2月を旧暦で如月(きさらぎ)と呼ぶ事に由来します。

 九條武子さまは、1887(明治20)年、本願寺第21代宗主・明如上人の次女として誕生されました。幼い頃から仏さまのお育てのもと歩まれた武子さまは「一人でも多くの方に阿弥陀さまという仏さまと歩む人生のすばらしさをお伝えしたい!」と、18歳で大谷籌子(おおたにかずこ)さまと共に仏教婦人会を設立されました。私生活では、23歳で籌子さまの弟である良到(よしむね)さまと結婚されましたが、結婚したばかりの夫は、海外留学のためと一人ロンドンへ渡り、約10年間帰ってきませんでした。歌人でもあった武子さまは、後に歌集「金鈴(きんれい)」を出版されますが、そこには別居生活を送る夫に対しての寂しさを込めた歌が、たくさん出てきます。

 さらに追い打ちをかけるように結婚2年後、義姉である籌子さまが急逝されます。「夫は海外に行きっぱなしで帰ってこない」「お姉さまも亡くなってしまった。私はこれから一体どうすればいいのか…」そんな不安が胸いっぱいに広がったことでしょう。しかし、悲しみの中にありながらも、籌子さまのお心を引き継がれた武子さまは、実質的な仏教婦人会の運営責任者となり、本部長として日本全国への巡回を始められました。

 そんな中、1923(大正12)年9月1日午前11時58分、関東大震災が勃発しました。昼時で火を使用している家庭も多かったためか、この地震では大規模な火災が発生しました。当時、築地本願寺の境内にお住まいになられていた武子さまも被災され、迫りくる炎の中、何とか一命を取り留められました。その後武子様は、被災者の救護事業や孤児の救済、厚生施設設立など、様々な慈善活動に力を注いでいかれました。しかしながら、長期にわたる奉仕活動の過労が重なり、肺血症を患って「南無阿弥陀仏…」を称えつつ、42歳でその生涯を終えられました。

 この原稿を書くまで、私は武子さまを、どんな時もくじけない気高く強い方だと思っていました。しかしながら、不遇な私生活、義姉の急逝、被災、慈善活動、巡回だらけの年表と、その生涯を知れば知るほど「ああ、この方は強かったわけではなくて、たまらなくさびしかったのかもしれない。不安だったのかもしれない。でもだからこそ、そんな自分の居場所になってくださる阿弥陀さまのお慈悲に遇えたことが嬉しかった。慈善活動は、そのお慈悲に遇えた慶びから行われたのではないだろうか」と思うようになりました。武子さまの心の内が秘められた歌碑が、築地本願寺に残されています。

 

  「おほいなる もののちからに ひかれゆく わがあしあとの おぼつかなしや」

 

 はかりしれない阿弥陀さまのお心に導かれて歩む、私のあしあとの何とおぼつかないことでしょうかと、ご自身の弱さ、はかなさを歌われています。

 武子さまの慈善活動は、時には拒否され、受け入れられない事もありました。そんな時、武子さまは「不請(ふしょう)の友たれ」とおっしゃったそうです。『仏説無量寿経』の中に「もろもろの庶類(しょるい)のために不請の友となる。群生(ぐんじょう)を荷負(かぶ)してこれを重担(じゅうたん)とす」(註釈版聖典7ページ)といった御文があります。あらゆる人々のためにすすんで友となり、その苦しみを背負い引き受け、導いていく阿弥陀さまのお姿です。阿弥陀さまは、すべてのものを最愛の友として、私の悲しみを自分事と捉えてくださっている慈悲の仏さまです。「あなたのつらさ、あなたの悲しさ、ともに背負わせてくれませんか。」と南無阿弥陀仏のお念仏となられて、どんな時も私達ひとりひとりの居場所となってくださっています。「阿弥陀さまが不請の友となり自分の居場所となってくださったように、今度は私が誰かの居場所になっていきたい…」そんな思いで活動されていたのでしょう。武子さまの心を受けて、頑なだった人々の心は次第にほぐれ、最後には大声をあげて泣いたそうです。

 仏さまとともに歩む人生の中に居場所を見出され、そのお慈悲を慶ばれ、またそのお慈悲を自分だけでとどめずに、多くの方と分かち合いたいと活動されたのが、武子さまというお方でありました。仏さまのお慈悲を慶ばれた武子さまのお姿に習い、私も仏さまのお慈悲のお育てのもと、精一杯精進してまいりたいと、気持ちを新たにいたしました。

 合掌

 


豊田 悠

1986年3月30日生まれ。

大阪教区茅渟組正法寺 豊田悠

本願寺派布教使

お西さんを知ろう案内僧侶

現在伝道院指導員

 

 

 

 

 


2024.01.31 ご報告

令和6年能登半島地震災害義援金を届けてまいりました

1月1日に発生した「令和6年能登半島地震」でお亡くなりになられました方々に謹んで哀悼の意を表します。

また、現在困難な状況におかれていらっしゃる方、またご不安を抱えていらっしゃる多くの方々にこころよりお見舞い申しあげます。

当院におきましては、1月4日から本堂に募金箱を設置し、参拝に来られる方々に義援金の募金を呼びかけてまいりました。

この度、本願寺の「たすけあい運動募金」にお届けせていただきました。

1月30日現在 30,000円

 

 

 

 

 

 

 

 

本願寺でも受付ております

 


浄土真宗本願寺派たすけあい運動募金 「令和6年能登半島地震 災害義援金」募集について

 2024(令和6)年1月1日、石川県能登地方を震源とするマグニチュード7.6の地震が発生し、 石川・高岡・富山・国府・新潟教区から被害の報告が寄せられています。
つきましては、継続した被災地の復興支援を目的として、下記の通り義援金の募集を開始いたしましたので、ご協力いただきますようお願い申しあげます。

1.  募 金 の 名 称

浄土真宗本願寺派 たすけあい運動募金
「令和6年能登半島地震 災害義援金」

2.  受付口座番号

郵便振替 01000-4-69957
加入者名 たすけあい募金

銀行振込
銀行 ゆうちょ銀行
店名 一〇九(イチゼロキュウ)店
番号 当座 0069957
名義 たすけあい募金

※通信欄に「能登地震」とご記入ください。住所、連絡先、領収書名のご記入をお願いします。
お預かりした募金は災害義援金として、被災地へお送りさせていただきます。

3.  受 付 期 間

2024(令和6)年1月5日(金)から当分の間

4.  問い合わせ先

〒600-8501京都市下京区堀川通花屋町下ル本願寺門前町
浄土真宗本願寺派伝道本部
社会部<災害対策担当>
TEL075-371-5181

FAX 075-365-6199
saigai-taisaku@hongwanji.or.jp

 

 

 


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