お知らせ

2023.12.02 お知らせ, ご報告

慶讃法要・報恩講法要お勤めさせていただきました2(雅楽演奏会)

本願寺尾崎別院

親鸞聖人ご誕生850年・立教開宗800年慶讃法要を11月26日(日)午後1時30分から

並びに

宗祖親鸞聖人報恩講法要を11月27日(月)日中法要午前10時、逮夜法要午後1時30分、初夜法要3時30分から

無事お勤めせていただきました。

これからしばらくそのご様子を順次ご報告させていただきますので、どうぞお楽しみにしてください。

今回はその第2弾です


ご法要に先立ちまして、11月25日午前10時から執り行われました「帰敬式」に続いて「雅楽演奏会」を開催いたしました。

日本における雅楽の源泉は5世紀ごろにあり、その後仏教と深く結びついてきました。古くは752(天平勝宝4)年に行われた東大寺の大仏開眼供養会での演奏が有名です。このように雅楽は古来より大規模な法会で演奏されるなど、仏教における大切な文化とされてきました。
本願寺の法要において雅楽が依用され始めたのは、第12代宗主准如上人の時代とされています。以来、本願寺の法要は、雅楽抜きでは語ることのできないものとなっています。
この第12代准如上人は、尾崎別院の開基です。上人が好まれた雅楽の調べに乗せて創建当時のいにしえに思いを巡らし、400年以上の歴史を超えて護持されてきた別院を、門徒一同これからも永遠に護持していく思いを一層強めるご縁として開催いたしました。

 

11月25日(土)午後1時30分から 本願寺尾崎別院本堂

 

出演してくださったのは、本願寺派の特別法務員資格取得者で結成された「大阪雅楽会(会長 髙橋昭人さん)」から22名です。

 

楽目は

◯ 催馬楽(さいばら)  「更衣(ころもがへ)」

※平安時代に隆盛した古代歌謡で、管絃の楽器と笏拍子で伴奏しながら歌われた「歌いもの」の一つ

◯ 管弦         「越殿楽」「陪臚」

※管弦とは管楽器(笙・篳篥・龍笛の三管)、絃楽器(琵琶、筝の両絃)、打楽器(鞨鼓、太鼓、鉦鼓の三鼓)の編成で演奏される、器楽合奏

◯ 舞楽         「蘭陵王」

※舞楽とは雅楽の楽曲を伴奏として舞う舞

 

観客は当院ご門徒をはじめとして崇敬区域内寺院のご門徒様や一般の方まで100人を超える方々がご覧になられました。

約1時間半、雅の時間を過ごし、ご覧になり、お聞きになった方々は皆、「感動した」、「鳥肌が立った」、「素晴らしかった」と感想を述べておられました。

本当に素晴らしい演奏会となりました。

 

ご出演してくださった「大阪雅楽会」の皆さんに心からお礼申しあげます。

 

 

 

 

 


令和5年12月法話「終活と迷惑」

「終活と迷惑」

大阪教区榎並組信徳寺 小西善憲

 

 12月を迎えました。私はいつもこの時期になると年賀状の準備をするのですが、最近はいわゆる「終活」の一環として、年賀状じまいということがあるようです。身辺整理の一つとして年賀状のやり取りを終わらせていくわけですが、自身のいのちの終わりを迎える前に、様々な物事を始末していく活動がよく「終活」として取りあげられています。そこには、残された人に「迷惑」をかけたくないから身辺整理を今のうちにという思いがあります。この「迷惑」ということばは元々インドの古いことばであるサンスクリット語の「プラーンティ」ということばに由来があり、心の迷いを表すことばで、そこから道理に明るくなくどうすれば良いのかわからない、途方にくれるということになりました。その状況を他者に与えるということが「迷惑」をかけるということになります。

 では、この「迷惑」ということは元来どういうことなのでしょうか。仏教における生命観は、生まれかわり死にかわりを続けてきたと受け止めます。その連続を回転する輪のように受け止めるので「輪廻(りんね)」と言います。そして輪は同じところをぐるぐる回るので、この状況を迷いと見ていきます。そこから抜け出すのが「解脱(げだつ)」と言い、仏教の目標です。確かに私の中をどれだけ探ってみても、このいのちの前を知ることはないし、今のいのちの寿命もわからないし、いのちを終えた後にどうなるかもわからないわけですから、どこから来たかどこにいるかどこへ行くかわからない迷子のような状況にあるわけです。そのことこそ元来の「迷惑」ということです。そしてそこから抜け出す「解脱」への道に出遇っていくのが仏教のあり方です。

 私たち浄土真宗にあっては、阿弥陀如来がこの「迷惑」の状況から抜け出させてくださると受け止めます。全てのいのちを阿弥陀如来の世界である浄土に生まれさせ、「解脱」した存在である仏に仕上げて救うお方です。そして今の私たちに「南無阿弥陀仏」となって、「あなたを迷わせない阿弥陀がいますから、まかせてください」と名乗り続けてくださっています。そこに気づき、まかせていく中に私のいのちの行き先をたまわるのです。また阿弥陀如来は浄土で全てのいのちを仏に仕上げてくださいますが、この仏方の楽しみは、こちらの世界にいるものを導いていくことだそうです。ということは、この世界に生きる私たちに「あなたもどうぞこの阿弥陀如来のお救いの道に出遇ってくださいね」とおすすめになっておられると、私たちに先立ち浄土で仏となってくださった方々が導いてくださるといただいていくのです。

 以前、カーナビゲーションを使って遠方の友人のお寺に寄せていただいた時のことです。大阪から3時間ほど車を走らせ、無事に目的地周辺に到着しました。カーナビは最後まで案内をしません。地図を注視して危険な状況を作らないために、周辺ということばで周りに注意喚起して危険な状況を防ぐのだそうです。私は周りを見て友人のお寺を案内した看板を見つけたので、その方向に進んでいきました。するとお寺には到着せずにお寺の名前がついた砂防ダムに到着しました。私は迷ってしまいました。不安になり友人に電話をすると状況を理解してくれてすぐに車へと迎えに来てくれました。そして一緒にお寺まで向かい、無事に到着することができました。そこで、迷って不安になった私が安心したのはどの時点でしょうか。お寺に無事に到着した時か、友人が車に迎えに来てくれた時か。もちろん後者です。行く道を知っている者が一緒にいてくれることに安心したのです。

 私たちは、阿弥陀如来から「迷惑」から抜け出せる道をたまわります。そして仏となってくださった、「迷惑」から抜け出せることを知っている方々が、今ここにその道をおすすめになってくださっています。親鸞聖人が大切にされたおことばに「前(さき)に生(うま)れんものは後(のち)を導き、後に生れんひとは前を訪(とぶら)へ(道綽禅師『安楽集』)」というものがあります。前にお浄土に生まれたものは、後に生まれゆく人を導き、後に生まれゆく人は前に生まれたものの御跡をたずねるという意味になります。全てのいのちを救うと立ちあがり、浄土に生まれさせ仏に仕あげて救うという道を完成させた阿弥陀如来、そしてその浄土で仏となり残された私たちを救うべく導いてくださる先立たれた方々が、迷い戸惑う私たちをそこから抜け出させてくださる。このことが浄土真宗における「迷惑」の元来の意味に対するあり方です。だからまずはこのいのちの「迷惑」を解決し、そして世間の「迷惑」について様々に対処していきたく思うことです。

 

 


小西善憲

1980年2月29日生。

大阪教区榎並組信徳寺住職。

本願寺派布教使。

特別法務員。

本願寺得度習礼・教師教修所期間中指導員、布教研究専従職員を経て、現在勤式指導所講師。


常例法座にお参りください

毎月1日(1月・4月除く)は、本願寺尾崎別院常例法座の日です。

次回は、12月1日(金)午後1時30分から開催いたします。

どなたさまも是非仏さまのお話を聞きにお越しください。

御講師は 大阪教区の野田茜さんです。

 


 

常例法座では、御懇志・お布施やお供え物をお持ちいただく必要はありません。

「無料」で仏さまのお話を聞かせていただくことができます。

 よろしければ、本願寺が進めている「子どもたちの笑顔のために募金」や「ウクライナ緊急支援募金」・「トルコ・シリア地震緊急支援募金」にご協力ください。

事前予約なども必要ありません。

服装も普段着のままで結構です。

お持ちいただきたいものとしては、「お念珠」「式章」「経本」です

 式章はお持ちでない方は結構です
 経本はお正信偈が載っている本でしたら何でも結構です。お持ちでない方は貸出いたします。

どなたでもご参加いただけます。

 よく、尾崎別院のご門徒でなければだめですか?ほかのお寺の門徒なんですけど。。。
 とおっしゃる方がいらっしゃいますが、仏さまのお話を聞きたいという方をお断りすることはありません。
 お誘いあわせの上、お気軽にお越しください。

お車でお越しの方は、そのまま境内にお入りいただき駐車してください。

 


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